世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take6
 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇

 サルバドールに到着すると、バスターミナルからすぐ会社に電話した。例の公園の記事についてだったらかっこいいけど、そうじゃない。ヘルプミーの電話だ。すでに、持ち金が底をついていた。

 前回、少女売春の現場を目撃し、嫌気がさしてフォルタレーザを離れたような、かっこいい自分を演出してみたけど、実際には単純にフォルタレーザに滞在する金がなかった。いや、正確に言うとあった。でも、フォルタレーザで宿泊すると、それ以上先には進めない。そこには、知り合いもいない。サルバドールには例の先輩の知り合いが住んでいることを知っていたので、その人に助けてもらおうという賢い作戦に出たのだ。

 サルバドールはかつてブラジルの首都だった街で、人口300万はブラジル第三位。奴隷貿易の中心地だっため、街には黒人が多く、別名‘Roma Negra’=黒人のローマと呼ばれる。フォルタレーザから南に約1000キロの場所にある。そんなことより、作戦は成功した。

 先輩の友人はとてつもなく迷惑そうな顔をしながら、僕をバスターミナルまで迎えに来てくれた。それも無理はない。その人の経営するゲストハウス(バックパッカー用の安宿)に代金後払いで泊めてもらうことになっていたし、「金を貸してくだしゃい!」というお願いまでしてあったのだ。

 ゲストハウスには、日本人だけ数人の宿泊客がいた。僕は情緒不安定な男だ。数子への罪悪感を(多分少しぐらいは)ひきずり、売春する少女を目撃し、そして金が無いという状況では、ひどく人見知りになる。

 そんな時、そこに宿泊していた女の子が、僕がギターを持っているのを見て、何か演奏して欲しいと言ってきた。上手く演奏できれば気分がほぐれるかもしれない。僕はブラジルの曲を歌った。大失敗だった。僕は挙動不審な男だ。こうなると、もう人と目が合わせられなくなる。

 一人、僕は散歩に出かけた。ゲストハウスは観光地となっている旧市街の中心部にあった。サルバドールはブラジルで最も歴史の古い街で、歴史的な建造物が多く残っている。昔の人の足音が聞こえるような気がして、古い教会の前で、僕は石畳に耳を押し付けた。お腹が空いた。

 ゲストハウスに戻ると、さっきはいなかった他の日本人の女の子がいた。助かった。その子は、サンパウロで何度か会ったことのある子だった。サルバドール、その言葉に嘘はない。この都市名はポルトガル語で救世主を意味する。その子は僕に1000レアルぐらい貸してくれた。やった。これで風俗に行けるど!

 こんな計画性のない僕が、どうして今回の旅に出ることができたのか。そんな金がどこにあったのか、その事にも触れておこう。サンパウロでは、毎晩のようにボアッチ(キャバクラと風俗が合体したお店)に行くか、クラブに行くか、飲みに行くかして過ごした。

 僕の給料は最低賃金の三倍。そのうちの三分の一は社員寮代として取られるから、実質500レアル。最低賃金の二倍とは言っても、実際大した額ではなく、さすがにそれだけの金でそんな生活を続けられるわけはなかった。

 日本から持っていったお金は、最初の三ヶ月でほとんど無くなった。会社のお金を横領する勇気はない。(出張費はごまかすことがあったけど。)街の小僧から、かつあげする訳にもいかない。そんなことしたら殺される。ここでは、僕がかつあげされるほうだ。

 僕は、お小遣いをもらっていたのだ。コロニア(日本人移民社会)のおっちゃん、おばちゃんから。その人たちの機嫌がいい時に「お小遣い頂戴な」と可愛く言ってみると、5回に1回ぐらいはもらえたものだ。ひどい時には、仲良くなった取材先の人にもせびった。その中に、同じ鹿児島県出身というだけで、めちゃくちゃよくしてくれた人がいた。

 長期休暇をとる前、その人が飲みに連れて行ってくれた。「お前、長期休みどうすんの?どうせ、金無いんだろ?これで、どっか遊びに行ってこいよ」。そう言って、その人は僕に大金をくれた。確か、その内の半分は、旅に出る前にサンパウロの夜に姿を消した気がする。

 この場を借りて、コロニアの皆様にお礼を言わせて頂きます。あざっした!

 【前回記事】
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2003年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



2011.2.28 世界の路地、それぞれの日々  文筆劇場・トップ