世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take9
 耳を澄まさなくても聞こえる

 ブラジルでの一年間をなるべく時間にそって振り返ってみよう。

 2004年4月。ブラジルに到着して3日目だったろうか。新聞社の編集長がホテルまで迎えに来てくれた。まず連れて行ってくれたのは、会社ではなく社員寮だった。社員寮は5階建てのアパートの一室で、間取りは3LDK。

 荷物だけ置いて、編集長とそのまま会社に向かった。そこで、社員寮に住む二人の日本人を紹介された。

 一人は、陸上部かバトミントン部にいそうな30代後半の男、Aさん。週末は自分の農場に帰って畑仕事をしていたから、常に陽に焼けた健康まるだしの顔をしていた。

 もう一人は、60歳ぐらいの男、Bさん。何を言ってるのか、最後まで分からなかった。趣味は雑誌の切り抜きで、何度か僕に宇宙の話をしてくれた。いらっとして、Bさんの口を塞いだ記憶がある。僕のブラジル生活はこの二人との共同生活から始まった。 

 ブラジルは僕の初海外だった。不安を抱えていた。しかもブラジル。いや、不安というより恐怖だった。映画「シティー・オブ・ゴッド」(リオのスラム街の少年ギャング映画)は、意図的に見ないで日本を発った。帰国後見て、その判断が正しかったことを確認した。もし出発前に見ていたら、ブラジルには行かなかっただろう。ただでさえ、統計資料を見て、次の数字を発見していたのだ。サンパウロの殺人事件発生率は東京の1000倍(当時)。

 それに、サンパウロは通りが一本違うだけで、危険、安全が分かれるということを聞いていた。それって、知らない人にとってはベトコンが仕掛けたブービートラップに近い。どこが安全でどこが危険かは、ある程度住まないと分からない。(慣れてくると、知らないところに行っても、そこが危険がどうかなんとなく分かるようになる。)もう一つ聞いていたのが、坂道を下るほど危険地帯に近づくということだった。ちなみに、僕の社員寮、坂の一番下。

 だから、当初はおちおち外出も出来なかった。アパートのすぐ隣には食料品店があったけど、そこの店員さんが、これまた悪そうな顔をした黒人だった。そんな訳で、買い物に行くのも怖かったから、夜ご飯はAさんとBさんが作ったものを食べさせてもらっていた。彼らが作るのは、米と味噌汁、あと野菜のみを炒めたもの。肉は一切なし。

 3,4日してその食事にうんざりして、「肉が食いたい!」と駄々をこねると、Aさんが言った。「別にここのご飯食べなくてもいいんだよ。そこら辺のバール(バー&定食屋)で食べればいいし、家で肉が食べたければ、その辺の店で買えばいいじゃないか」。「でも、怖いの!」恥ずかしげもなくそう言うと、Aさんは、アパートから歩いて30メートルのところにある、鶏の丸焼き(150円ぐらい)が売っている店まで付き添ってくれた。

 最初の一週間ぐらい、会社の行きも帰りもAさんにくっついていた。会社は、寮から歩いて10分ぐらいの場所、坂の上のリベルダーデ駅近くにあった。(リベルダーデ駅周辺は日本人街。でも、寮のところまで坂を下ると、最早日本人は僕らしかいない。)

 そんなびびりまくりの一週間が過ぎ、最初の日曜日を迎えた。例によって、僕は部屋に閉じこもっていた。

 すると、窓の外で突然、叫び声とともにマシンガンを連射するような音が聞こえた。しかも、その音が鳴り止まない。

 僕はマフィア同士の抗争が起こったと思い、とっさに、窓の下に身を隠した。音が中断したところで、恐る恐る窓を覗くと、また叫び声とともに連射音が鳴り出す。AさんとBさんは、二人とも結婚していて、別の街に家族がいる。それで、二人とも週末は寮にいなかった。外で何が起きているのか聞ける人もいなくて、僕は一人怯えながら心底思った。「ブラジルに来るんじゃなかった」。

 後で分かったけど、その時僕が銃声だと思ったのは爆竹の音だった。サッカーの試合をテレビ中継していたらしく、それでみんな叫んでいたのだ。というのも、炸裂音が銃声の時には、大抵後からパトカーがやってくる事を、後に学習したのだ。

 【前回までの記事】
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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