世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take12
 初めての取材旅行

 ブラジルに来て一月半ほど経過して、サンパウロの夜にもいくらか慣れてきた頃だ。編集長に呼び出された。いや、編集長は僕の隣のデスクだったから、話かけられたと言った方が正確だ。そして、サンパウロでビッグ美容室チェーン店を展開する移民のおっちゃんに二人で会いに行くことになった。

 ここで、ブラジル日本人移民の歴史を少し。国策としてのブラジル移民が開始されたのは、1908年。以後、第二次世界大戦前までに約19万人、大戦後は約5万3千人の日本人がブラジルに移民した。日本が経済成長するに従って、移民の数は減り、たくさんの移民を送り出した国立神戸移民収容所は1971年に閉鎖。73年の285人を最後に移民船も姿を消した。

 その後は、飛行機を使って移住した人がいるけど、その数は少ない。21世紀に入ってからの新移民は、僕の知る限り一人しかいない。新聞社の師匠とはまた別の先輩だ。

 というわけで、現在、移民子孫の日系人の数は増えても、日本人移民の数は増えるどころか、ハイスピードで減少している。高齢者がほとんどだし、日系ブラジル人の日本へのデカセギの波に乗って、帰国した移民も少なくない。それは、ブラジルの日本人移民社会(通称、コロニア)も縮小し、放置しておくと消滅してしまうことを意味する。日系人がコロニアを担っていけばいいんだろうけど、日系人でコロニアとの関りを持つ人は少ない。

 そこで、そのおっちゃんは、コロニアを活性化させようと、ヨサコイ踊り大会を前年(2003年)から始めたというわけ。日本で若者に人気のあるヨサコイ踊りをコロニアに導入すれば、若い日系人がとびついて、彼らがコロニアと繋がりを持つようになると考えたわけだ。

 それで、「(金包むから)新聞社も協力して、この大会を盛り上げてくれ」となったわけで、僕はブラジル各地のヨサコイ・ダンスチームをいくつか取材することになった。

 まずは、おっちゃんにビデオを2本渡された。一つは、日本のヨサコイダンス大会。もう一つは、確か渡哲也が主演している北海道の不良中学校の映画。哲也ふんする教師が、ヨサコイダンスを通して、生徒を更正させてゆく実話に基づいたストーリー。一目瞭然だ。おっちゃん、相当この映画から影響を受けている。

 そうなると、取材の方向性は自ずと見えてくる。ヨサコイダンスを取り入れることによって、いかに各チームのメンバーが更正されていったか。そこを取材すればいいわけだ。

 取材先のチームには、平均年齢70歳のおばちゃんチームもあった。きっと、どうしようもなくSEX大好きの熟女がいて、老後を迎えてから娼婦として置屋で働いていた。(実際、置屋には白髪のおばあちゃんがいたりする。)その人がヨサコイに出会い、置屋から足を洗った。そんなストーリーを書けばいい。

 でも、残念だ。なぜ、こんな当然のアイディアが当時は思いつかなかったのだろう。その頃の僕は若者特有の情熱に燃えていたわけで、僕の筆を通してコロニアを少しでも活性化させようと意気込んでいた。  

そうなると、取材のアイディアは過剰に壮大になる。ヨサコイによって更正された一人の人にスポットをあてた方がおもしろいのに、僕が実際にやったのは次のような取材だった。各チームを組織する大人たちがヨサコイに込める思いや、ヨサコイを取り入れることによって、コロニアがどう活性化されたかに焦点を当てたのだ。

 当然、本連載で話題にできるような取材内容ではない。だから、取材内容ではなく、この初めての取材旅行それ自体のことを書こうと思う。

 この旅行では、一週間ほどかけて4チームを取材した。コロニアのことも少しは読者に伝わるだろう。そうすれば、あの頃の僕の情熱も少しは報われ、罪もいくらか許されるだろう。そうであって欲しいものだ。

 【前回までの記事】
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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