世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take13
 変化の序章

 もう少し、初期の変化を振り返ろう。

 忘れもしない。師匠がご褒美に連れて行ってくれたのは、Eu e Elaという名のサウナ付ボアッチだった。サウナには、普通に全裸の娼婦がいて、その時はぽっきを抑えるのに必死だっけど、今思い返すと、ヌーディストビーチってああいう感じなんだと思う。解放の楽園。あぁー、またあそこに行きたい。今すぐ行きたい。入場料も確か20か30レアルで、ドリンクもついた気がする。

 店に入ると、まずはサウナに入った。そして、白のバスロープを着て、マティーニを飲む。そうすると、お金を稼ごうと娼婦が積極的に向こうからアプローチをかけてきた。店には、20人ぐらいの女の子がいて、次から次へと声をかけてきた。葛藤だ。どの子を選ぶべきか。小さくて可愛らしい白人か。パイ乙カイデーの褐色か。それとも、前回に引き続き、黒人で統一すべきか。いや、オセロで言えば、次は白だろう。実に決め難い。

 バスロープの下で、あいつがこらえきれず叫びだした時だ。見覚えのある顔がお店の二階から降りてきた。(二階には、ベッドルームが10ほどある。)日本の某巨大政府系NGOで働く、Z氏(推定55歳)だった。はつらつとした健康的なおっちゃんだから、ボアッチで出会うとはまったく予期していなかった。

 でも、驚いたのは、間違いなくZ氏の方だろう。Z氏が僕らを認めた瞬間、つやつや、ほっこりしていた目が一瞬にして死んでしまった。僕らがにやにやしながら、Z氏の名前を呼ぶと、Z氏は僕らのテーブルにやってきて、ボアッチ代を150レアルづつ僕らに渡し、店を出て行った。

 そういえば、Z氏の印象が強すぎて、この店でやった子のことは覚えていない。

 アウグスタ通り(Rua Augusta)は、サンパウロの風俗街として最も有名な場所だった。‘だった’と言うのは、現在はどうなっているか、あまり定かではないからだ。僕がいた当時からボアッチの取り締まりは強化されつつあって、現在はさらに厳しくなっているらしい。Googleのストリートビューでアウグスタ通りを見た限りでは、明らかにそれと分かる店は無かった。

 (ただし、ブラジルでは売春は合法。摘発の主な対象は、店舗型の風俗。つまり、店内で、性行為可能なお店が駄目ということ。東京の店舗型ヘルスがほぼ壊滅し、デリバリー型のヘルスがほとんどになっている状態に近い。僕の予想では、置屋は黙認されている。)

 でも、サンパウロは風俗が街のいたるところに点在するような街。そう簡単に店舗型の風俗もなくなりはしない。それで、とある情報筋によると、現在は店舗型風俗と警察とのいたちごっこが繰り返されているという。

 ちなみに、アウグスタのボアッチの料金は当時50レアル(1500円)程度。超庶民、つまり最下層(当時、サンパウロの少なくとも三分の一は、このランクにいたと思う)が行くのが置屋だとしたら、アウグスタは庶民の風俗街。同じ情報筋によると、最近はアウグスタでも100レアル(5000円)要求する娼婦もいるという。

 そんな情報はいいとして、当時の話に戻ろう。師匠の指導のもと、ボアッチ通いの夜が続いたある日のこと、僕はミスを犯してしまったのだ。師匠と一緒に取材に行った帰りのことだ。アウグスタ通りをヘプブリック(Republic)方面に下る途中の横道にそれたところにある、確かVagon という名のボアッチに行った。ここは、日本人駐在員を筆頭に多くの観光客が集まる、ボアッチで綺麗な子が揃っていた。しかも、入場無料でヌードショーや本番ショーまで見れてしまうのだ。
 
 ただ、僕は迷った。娼婦の値段は、平均200レアル(ショート料金。当時)。それに、Vagonには、ベッドルームがない。まさか、スラムinグリセーリオの社員寮に連れて行くわけにはいかない。となると、ホテル代も発生する。それに、連れ出し料もお店に払わないといけない。タクシー代もかかるだろう。しめて300レアルといったところだ。僕の月給の半分以上が飛ぶことになる。

 2時間迷った。出した結論は、残像を今夜のおかずにしようというものだった。僕らは、店を出て、タクシーに乗った。師匠は、あまり口をきこうとしなかった。疲れていたのか。いや、そうではない。口には出さなかったけど、師匠は、僕に買うことを求めていたのだ。だから、がっかりしていたのだ。「どんな困難にもチャレンジする強いエロ精神が、こいつには足りん」と。

 スパルタ教育が再度施された。二日後、どこにあるのかも分からないボアッチに一人取り残された。帰り際に師匠は、はっきりと声にして僕に言った。「お前も一人で、なんとかできるようにならないと駄目だろう」。その夜、ブラジルで初めて、僕は一人でタクシーに乗った。

 【前回までの記事】
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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