世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take14
 初めての取材旅行

 まず向かったのはカンポ・グランデというサンパウロ州の西側、ボリビア、パラグアイと国境を接するマット・グロッソ・ド・スル州の州都。人口約70万(当時)、サンパウロから1000キロほどのところにある。カンポ・グランデとい都市名は大草原を意味している。晴れていても、街には手の届きそうな位置に小さな山のような形をした雲が散りばめられていて、その名前の由来を彷彿とさせてくれた。

 移民が多いところでは、日伯文化協会(以下、文協と略す)というものが作られ、それが各地のコロニアの核となっている。(日伯の‘伯’はブラジルを指す。)約一万人の日系人が暮らすといわれる同市には、沖縄系の移民やその子孫が多く(全日系人口の約7割)、日系人団体は沖縄系の人らのものと、その他の日系人で作られた団体とがある。ヨサコイのチームがあるのは、その他の方。

 サンパウロからバスに揺られること13時間。(会社に金がない、その上オーナー・一族はけち。)カンポ・グランデに到着すると、日系二世で日本語学校の教師をしているおばちゃんがバスターミナルで僕を待っていてくれた。

 まずは文協の建物に連れて行ってもらい、そこでカンポ・グランデの日系人の歴史や現状を移民のおっちゃんに聞かせてもらった。何故かは分からない。このおっちゃんと話していると、というかおっちゃんの顔、もっと正確に言うとおっちゃんの目を見ているとむしょうに腹が立ったことを覚えている。ヒステリックな母親に、追い込まれるような説教をされたのと同じレベルだった。あの目は、日系コロニア七不思議の一つだ。

 ちょうどその日はヨサコイの練習の日で、子どもたちが文協の体育館に集まっていた。ほとんど純粋な日系人の子どもばかり、40人ほど。平均年齢は15歳ぐらい。(一口に日系人と言っても、混血の日系人も多くいる。)グリセーリオの子供に日ごろ接しているせいか、年頃のブラジリアン・キッズたちにはいい印象は持っていなかったけど、そこに集まっている子供たちはいい感じの子が多かった。ミス・カンポグランデに選出された17歳の女の子もいた。

 その日の夜は、文協の会長さん宅に泊めてもらった。会長さんにいろんな話を聞けるし、それに一回分のボアッチ代が浮くのだ。ただし、夜の外出は出来ない。さすがに、「ボアッチに行ってきます」とは言えない。当然、次の日の夜は、ホテルに泊まることにした。

 次の日、昼間に取材は終わり、夜はボアッチでゆっくりと過ごす予定だった。でも、カンポ・グランデから車で二時間ほど離れたところにある小さなコロニアで、入植開始50年を祝う祭りが行われるということで、急遽そこも取材することになった。祭りの写真を撮り、移民のおっちゃんに「邪魔だ。小僧どけ!」と罵倒され、街に戻ってきたのは、午前0時過ぎ。翌朝は、朝一番のバスで違う街を目指さなければならない。でも、次に向かうのは小さな街。そこにボアッチがある保障はない。置屋なら確実にあるはずだが。

 シャワーを浴び、缶ビールを開けると、ジャケットに着替えてホテルを出た。駅の方に歩いていき、タクシーを拾うと一言告げた。「ボアッチ」。

 タクシーの運ちゃんに「ボアッチ」と告げたのは、これが二度目だ。

 一度目は、一週間ほど前に一泊の取材で、サンパウロの南にあるパラナ州のマリンガという街に行った時のことだ。そこで、2,3時間かけてネオンを手がかりに街中を歩いた末、見つけられず、それでも諦めがつかず、タクシーの運ちゃんに声をかけたのがきっかけだ。

 「どこにボアッチあるの?」と運ちゃんに聞くと、運ちゃんの知り合いのコールガールをホテルに呼ぶことを提案してくれた。でも、それはちょっと怖いから、ボアッチまで連れて行ってもらうことにした。というのも、コールガールと運ちゃん、もしくはコールガールの情夫か誰かが、共謀して僕をぼったくるかもしれないと考えたからだ。

 この時、ボアッチまで、タクシーで30分もかかった。車は街からどんどん遠ざかる。よく考えてみたら、タクシーの運ちゃんがどこかに僕を拉致ることも余裕だ。途中、かなり不安になったけど、ついてみたら、むちゃくちゃかわいい子が多かった。僕がやった子は性格もよく、思わず「一緒にサンパウロで暮らそう」と言ってしまった。

 ブラジルでは、タクシーに乗って騙されたことはない。それに、彼らは安くしてくれるし、金なんてどうでもいい、みたいな感じだ。ただ、タクシーでぼったくられたり、危ないところに連れて行かれそうになったという話もたまに聞いたから、完全に安全という訳ではない。なにわともあれ、それ以来、知らない街で困った時(=風俗が見つけられない時)はタクシーの運ちゃんに助けてもらうようになった。

 カンポ・グランデで乗ったタクシーも郊外へ遠く向かったけど、前の経験があったからこそ、別に余裕だった。でも、連れて行ってもらったボアッチは、マリンガのそれほどよくはなかった。ビールを飲んでいると話しかけてきたのは、ボリビア人の白人女性だった。(マット・グロッソ・ド・スル州は、ボリビアと国境を接しているため、カンポ・グランデには、ボリビア人の出稼ぎが多いらしい。)

 値段はショートで150、部屋代がプラス50かかるということだった。この子は綺麗だったけど、このボアッチでその値段は高い。でも、僕には時間がないから、別のボアッチを探す余裕はない。その子と交渉した結果、ロング(3時間)で200レアル、僕の泊まっているホテルに連れて行くということになった。

 でも、交渉は失敗だった。疲れていたんだろう。ビールを飲みすぎていたんだろう。その子は30分で部屋を出た。

 翌朝、バスの中で回想したのは、ミス・カンポグランデの女の子だった。

 【前回までの記事】
Take13 変化の序章 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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