世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take15
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 ブラジルで長距離バスに乗ると、僕は決まって地平線を探したものだ。ブラジルの面積は日本の約23倍。ブラジルという名前からして、なんだか果てしなく広大そうな気がしたし。でも、完璧な地平線というものはなかなか見ることができない。遥か向こうが高台になっていたり、逆に低地になっていたり。水平線のような、かすかな丸みを帯びた直線を見ることはかなり難しい。

 カンポ・グランデ、つまり大草原。そんな名前の場所に向かっても完璧な地平線を見ることは出来なかった。都市部は当然のこと、そこへ向かう牧草地帯でもそうだった。でも、次なる目的地はサンパウロ州のとある農業地帯にある村。ここなら、期待できそうだ。

 その村とは、日本人移民とその家族だけが住んでいる村、というか農場。日本のテレビで紹介されたこともある有名な場所だ。「日本人の特徴を生かした新しい文化の創造」(この村の創始者)を目指して、戦前に誕生。‘土を耕しながら芸術を生み出す’みたいなことを信条とする人たちが住んでいる。この農場では、バレエ団が組織されていて、その人たちがヨサコイ大会にエントリーしていた。

 ただ、僕がそこで見たものは、地平線なんかではなく、日本の農村と全く変わらない風景だった。(人の目にモノがどう映るかなんて、その場の雰囲気にかなり左右される。もしかしたら、この農場では地平線を見ることが出来たのかもしれない。ただ、僕の目には、日本の農村にある大きな畑ぐらいにしか写っていなかっただけなのかも。)

 かつては、「明治の日本人に会いたければ、ブラジルに行け」と言われたそうだ。戦前の日本人移民は出稼ぎのつもりでブラジルに渡航した人が多く、いずれ日本に帰るつもりだったから、ブラジル文化の受容にはほとんど無関心で、子どもたちにも日本人としての教育を施していた。だから、戦前移民には、二世も含めて明治の日本人の態度がそのまま保存されていたというわけ。(ちなみに、戦後移民はもともと永住思考だったから、ブラジル文化の受容に積極的だったし、子どもたちにもブラジルの教育を施した。そのため、戦後移民の子や孫に日本語をしゃべる人は少ない。)

 この農場の公用語は日本語。子どもたちも完璧な日本語を操る。50人ほどが住み、日本人以外の血は入っていない。僕は期待を持ってこの農場に来た。‘明治の日本人’に会えることを期待したし、この農場は自給自足で成り立っているという噂も聞いていたから、一体どんな人たちに会えるんだろうと、僕の人生観を揺さぶるような体験が得られるんじゃないかと。

 でも、分かったことは一つ。ここはマインドコントロール村だ。

 僕は、この農場のことを理解しようと思って、畑仕事を手伝わせてもらいつつ、農場に二泊させてもらった。昼間、畑仕事をしていた時だ。急な腹痛に襲われ、僕は野糞を敢行するに至った。

 茂みに隠れ、小さな穴を掘り、下っ腹に力を込めていると、子どもたちが石を投げてくるじゃありませんか。しかも、当たったら確実に出血してしまうサイズの石が飛んでくるんです。

 そして、「おい、やめろ!」と哀れな声で叫ぶ僕に、子どもたちはけたけた笑いながらこう言ったんです。「うるさい、この野糞野郎!」石は投げ込まれ続けました。

 「無邪気な子どもたちだ」なんて、これっぽちも思いませんでした。昼食を食べに大食堂に行くと、大人も一緒に「野糞野郎が来た!」と笑いたてる始末。

 この時、気づいた。ここで‘明治の人間’に出会えるわけがない。だって、ここは、「日本人の特徴を生かした新しい文化の創造」を目指して作られた共同体。自給自足で生活し、自然に溶け込んだシンプルな人に出会えることを期待していたけど、そんな大それたことを考える人たちがシンプルな人のわけがない。だから、‘野糞’という、自然に溶け込んだいたってシンプルな行為が嘲笑の対象となったわけだ。

 そして、彼らはプライドが異常に高い。というか、そういう教育を施されている。頭の良さも、ファッションセンスも芸術のセンスも他を圧倒していると信じきっているし、そう教え込まれている。そして、実際、指導者や子どもも含め、ここに住んでいる人たちの何人かから、そういう発言を聞いた。だから、その作られたプライドが、部外者への軽視につながり、野糞する僕への石投げ、罵倒として表れたのだ。

 このような小さな共同体を維持するには、マインドコントロールが必要なのだろう。そうでもしないと、どんどん人は放れていくだろう。でも、そこにはどうしても矛盾というか、違和感が残る。そうだ、うんこを全て出し切っていないのに、石投げのため中断せざるを得なかった、そんな違和感といったところか。いや、違うか。とにかく、図らずも、野糞を通して、この共同体の本性を見てしまったわけだ。ここは、世界の縮図だな。

 そう言えば、このチーム、その年のヨサコイ大会優勝。また、同バレエ団は数々の賞を受賞している。うんっ?変なのは俺の方?

 【前回までの記事】
Take14 初めての取材旅行(2011.4.25)
Take13 変化の序章 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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