世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take16
 フェスタ・ジュニーナ

 ブラジルでは、確か6月になると、フェスタ・ジュニーナという祭りが全国で行われる。フォホーというブラジルのフォーク的なダンスミュージックで踊るという、巨大なダンスパーティーだ。会場では常にフォホーがなり続け、露天も並ぶから、フェスタ感はある。

 このフォホーという音楽。別にこの時期だけに流れるわけではない。一年中、グリセーリオ等のクラブでかかっていたり、ちょっとしたパーティーで流れたりと、ことあるごとに耳にし、人が踊るのを見、ステップを踏んだ。でも、このフォホーという音楽、僕はどうも苦手だ。というか、聞くたびにげんなりした。

 初めて踊ったのは、サンパウロのファベーラにあるボランティア団体主催のパーティーでのことだ。日本の小学校の運動会で踊るフォークダンスのように、男女がペアになって踊るものだけど、男女がそれぞれ円になって、順々にパートナーを変えていくというものではなく、自分でパートナーを探さないといけない。しかも、サンバの国のゆえんか、リズムも早く、ステップが難しい。そこで、ブラジル人の女の子に「一緒に踊って、教えてくだちゃい」と微笑みかけてみたけど、気持ち悪がられただけだった。

 ブラジルで男が女にフォホーを教えて欲しいとお願いすることは、日本で男が女のストーキングをするようなものらしい。そして、はじめてのフォホーを一緒に踊ってくれたのは、ブラジル人の太ったおばちゃんだった。おばちゃんは、「あんたは、私と結婚するのよ!」と繰り返していた。

 でも、それがフォホーを嫌いな理由ではない。嫌いな理由、率直に言おう。だっさいの。フォホー、だっさいの!

 サンバにボサノバ、60年代のブラジリアン・サイケデリック、MPB(サンバとかボサノバとかブラジル土着の音楽にロックなんかが融合したブラジル特有のポップミュージック)。ブラジルには、めちゃくちゃかっこいい独自の音楽があって、強烈な個性とセンスを持ち合わせたミュージシャンがいっぱいいる、のに、のにフォホーはだっさい。

 フェスタ・ジュニーナでは、生演奏もよく行われる。普段、盛り上がっているライブなんかを観客として見ると、ミュージシャン魂というか、調子乗り魂が刺激され、自分も演奏したくて、むずむずと何だか変な感じになってしまう。でも、それはフォホー(を筆頭とするいくつかの音楽ジャンル)以外でのこと。フォホーの生演奏で盛り上がっている会場、演奏者の気持ち良さそうな顔を見ても、「何だこれ、だっさい」感は増すばかりだった。

 フォホーが何故こうも人気があるのか、まったく僕には理解できなかった。フォホーがだっさい理由。それは・・・・・

いや、もうフォホーの陰口をたたくのはやめて、そろそろ本題に入ろう。日系ブラジル人の葛藤。それが、今回のテーマだ。日系人の若者が大規模なフォホーのパーティーをやるということで、友だちに誘われて参加したことがある。それをきっかけに日系ブラジル人若者の葛藤を知ることになった。

 いや、そうじゃない。話の流れは、もう本題には戻れない。やっぱり、フォホーにまつわる嫌な思い出をもう一つ書いて、気分をすっとさせよう。

 師匠が言った。「ジルオよ、フェスタ・ジュニーナを楽しみたいなら田舎に行くべし」。

 会社にあった地図を見て、田舎を探した。サンパウロ州とその北にあるミナスジェライス州との州境近くにある小さな街、名前も覚えていないけどその田舎に決めた。

 サンパウロのバスターミナルから、その田舎を通るバスに乗り、その田舎町に着いた。その週の土曜日のことだ。バスから降りると、習慣通り、適当に町をぶらついた。どんな町だったか思い出そうとしているけど、いろいろな田舎町のシーンが頭をよぎって、どれがその町のものだか分からない。

 ガソリンスタンドに行ったのを覚えている。車に乗った同い年ぐらいの集団に声をかけられ、その車に僕も乗り込んだのだ。気持ちのいい奴らで、それで、ガソリンスタンドでビールだかコーラだかをおごった気がする。

「お前、日本人か?何しに来たんだ?」

「この町のフェスタ・ジュニーナに参加しに来たんだけど、今夜パーティーある?」

「よし、それなら今夜、一緒に行こうぜ。お前のために女も用意しとくよ。」

 ガソリン代もおごった気がする。

 彼らに適当な安ホテルまで車で送ってもらって、夜が始まるまで一眠りした。

 フロントの人がドアをノックする音で目が覚めた。

「お前のアミーゴが来てるぞ!」

 そいつの名前は何だっけ?やはり覚えていないから、ホドリゴということにしておこう。

 迎えに来たのはホドリゴ一人だった。ホドリゴはタクシーで来た。そして、タクシーでホドリゴの家に向かった。そして、ホドリゴは僕にタクシー代を払わそうとしたから、そこは「ふざんけんな」と言っておいた。

 ホドリゴは結婚していて、家には奥さんも子どももいた。奥さんはかなりの僕好みで、陽に焼けた白人だった。これは、かなり期待できる。‘お前のために女も用意しとくよ’の件だ。ホドリゴの家で一杯やってから、タクシーで会場に向かった。今夜のために万国旗で飾り付けられたパーティー会場の小学校が、いかにも田舎のフェスタ・ジュニーナらしくてよかった。フォホーには、相変わらずげんなりしたけども、露天も出ていて、お祭り気分の人たちの顔を見ていると僕の気持ちも盛り上がった。今夜は楽しくなりそうだ。

 そうこうしていると、車に乗っていた男一人(パウロということにしておこう)と他の女が二人、僕らに合流した。そのうちの一人が、どうやら件の女ということになるらしい。どっちだ?それは、とても重要な問題だ。一人は普通に可愛い。そして、もう一人は実に厳しい。パウロが二人を僕に紹介した。「これが俺の彼女でエミリー」

「ははは、そうなんだ。可愛いね。で、こちらは?」

「こっちは、アンダ。可愛いだろ?!」

「ははは、そうだね。よろしくアンダ」

 気のせいだろうけど、フォホーの生演奏が一気にでかくなった。

 その後、僕らは会場近くにあるレストランに行った。フォホーがうっすらと聞こえる。駄目だ、耐えられない。ホドリゴは悪くない。もちろん、アンダだってちっとも悪くない。悪いはずがない。そして、当然俺も悪くない。フォホーが悪いんだよ。そうだ。絶対そうだ。あの音楽さえかかってなければ、その夜、俺はアンダと…

 お金を置いて、席を立った。「おい、どこに行くんだよ?!」と引き止めるホドリゴに僕は、手でOKマークを送った。「気にしないでくれ」という思いを伝えるためだった。でも、ブラジルでOKマークはケツの穴を意味していて、アメリカで中指を突き立てるのに等しい。でも、僕はフォホーのせいでそのことも忘れていた。ホドリゴは僕をすごい形相で睨み返した。それは、そうだろう。せっかく親切にしてやったのに、「ぶっ殺すぞ!」と言われたようなものだ。

言ってなかったけど、ホドリゴは日本の田舎町のヤンキーみたいな奴だった。夕べのことを根に持ったホドリゴが、僕をぼこりにやってくる恐れがある。翌朝僕は、朝一でその街を後にした。

 駄目だ。全然すっきりしない。やっぱりフォホーのせいだ。いや、今度、ホドリゴにあったら、ぶん殴ってもらおうと思う。そして、アンダが認めてくれるなら、結婚させてほしい。

 【前回までの記事】
Take15 初めての取材旅行(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行(2011.4.25)
Take13 変化の序章 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



2011.3.14 世界の路地、それぞれの日々  文筆劇場・トップ