世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take20
 アドバイス

 海外に長期滞在するのは、自分を見つめるいい機会になる。そんな言葉を聞いたことがある。

ブラジルで一年間過ごして、僕が変化したのは確かだと思う。ブラジルに行く前の僕は、自信の塊のような男だった。自分は何でも出来ると思っていた。世界を手に入れられると思っていた。

 ただ、僕は変わったけど、自分を見つめた記憶はほとんどない。今、振り返ってみると、自信過剰な僕が変わったきっかけは下痢にあったんじゃないかな。

 WHOによると、発展途上国では乳幼児を中心に、年間百万単位の人が下痢で亡くなっている。大学で途上国援助みたいなことを勉強していたから、そのことはブラジルに行く前から知っていた。でも、そんな下痢で人が死ぬなんて、まさか。今は、どうか知らないけど、当時サンパウロの水道水は、明らかに身体によくない臭いを放っていた。でも、それでも思った。いやいや、でも、まさか下痢ごときで人は死なないでしょ。

 ブラジルについてから、二月ほど経ったときだろうか。僕はブラジリアン・ピーゲリを経験した。一応、水道水は警戒して飲まなかったけど、寮のおっちゃん達は、料理に水道水を使っていたし、僕はそれを食べさせてもらっていた。それに、あちこちにあるフレッシュ・ジュースや果物の露天では、きっと水道水が使われていたことだろう。それが次第に蓄積して勃発したのか、クラスター爆弾が投下されたのかは分からない。

 一週間ほどは、たかがゲリ、ほっときゃ直ると軽く思い、相変わらず夜は遊びに出かけていた。でも、僕の意思に反して、あいつが僕のけつの穴を内側から蹴り破った時、あせりだした。地下鉄に乗っている時だったから、今の現状がやばいという意識と重なったこともあるだろう。

 でも、いったんあせりだすと、僕の身体はどんどん衰弱していった。下痢で衰弱して、まともに動けなくなり、意識のある時間の四分の一はトイレで過ごす。

 会社は当然、欠勤、無断欠勤。寮に備え付けの電話は無い。ブラジルまで来て、携帯を持つのは邪道だと思っていたから、携帯電話も持たなかった。(だって、ブラジルってインディオの国だぜ、と当時の僕は思っていた。)だから、会社に病欠の電話もできない。それに、寮に住んでいるおっちゃんらは、普段から昼出勤する僕が会社に来なくても、何の違和感も持たなかったらしく、会社の人には「いつも通り、ベッドで寝てたよ」ぐらいしか伝えていなかった。

 でも、もうダメ。まったく回復する見込みがない。僕の腸は、1メートルほどのパイプ管になったのか。食うもの、飲むもの全てが、口に入れた瞬間、お尻まで届く。そして、意識が朦朧としてきた。やばい。寮のおっちゃんらは、相変わらず僕の変化に気付いてくれない。そんなに、僕はひどい生活を送っていたのか。そうだ、駄目だ、そんな奴らに助けを求められるかっつーの。

 でも、病院行かないと。でも、病院ってどうやって行くんだっけ?どこにあるんだっけ?保険ってどうなってるんだっけ?
「誰か、助けて・・・・・・・・・・」

 投降兵の精神状態にだいぶ似ていた。先端に白旗こそつけていなかったけど、僕は棒切れで身体を支えて、なんとか会社まで行った。
「編集長、病院、僕を病院に連れて行ってください・・・」
「はー、お前、何言ってんだよ?!何、何日も無断欠勤してんだよ」
「いや、ほんとすみません。でも、とにかく病院に連れて行ってください」

 編集長は、もっとののしりを重ねたかったことだろう。自信過剰な僕は、普段は当然生意気な小僧だったし。でも、そのいらつく顔が今は、投降兵のそれではありませんか!編集長はきっと、そう思ったんだろう。僕を病院まで連れて行ってくれた。

 当然、脱水症状を起こしていたから、点滴を数本打って、抗生物質と下痢止めの薬をもらって帰った。(確か、診察料と点滴と薬代で300レアルほどかかった。これじゃ、低所得者は到底病院には行けない。下痢で死ぬわけだ。)

 ただし、パイプ菅が少し長くなったと感じるぐらいで、それから数日経過しても症状はさほど改善しなかった。そんな時だった。やっと、寮のおっちゃんが僕に教えてくれた。
「駄目だよ。病院なんかに行っても。薬はたいして効き目がないよ。マッサっていうバナナがあるから、それを食べればいいよ。」

 おせーよ!タコ!この見た目、陸上部野郎!
 苛立ちがあった。バナナで治るわけがないだろうという、強い思いもあった。でも、最早、この言葉にすがるしかない。マッサが売っているというスーパーまで、漏らしながら遠出した。

 マッサは抜群に効いた。三日で全快した。
 苛立ちがあった。でも、感謝の気持ちが強かった。ありがとうございます。見た目、陸上部先輩。

 こうして、僕は他人に頼ることを覚えた気がする。それまでは、他人に頼ることが大嫌いだった。でも、降参したのだ。生まれて初めて、このままじゃ死ぬかもしれないと思って、投降したのだ。

 移民のおっちゃんらにお金をせびるようになったのは、間違いなくそれ以来のことだ。
 海外に長期滞在するのは、自分を見つめるいい機会になる。そんな言葉は、あまりぴんとこない。自分を見つめて、自分のあり方を問い、それを実践するのは、少なくとも僕には無理だ。

 偶然というか、予想していなかった出来事に遭遇したり、葛藤のある毎日が続いて、それが爆発するとか、日々の些細なことが与える影響の方がでかい。ブラジルで生活する中で、僕の人生観はそんな感じに変わったのだろう。偶然に身を任せるスタイルに。

 こうして、知らず知らずのうちに、僕は社会不適合者へと舵を切った。

 そんな僕から、ワンポイント・アドバイス。海外に滞在すると人に甘えるくせがつきやすいので、気をつけよう!

 【前回までの記事】
Take19 月一回の習慣(2011.7.18)
Take18 月一回の習慣(2011.7.04)
Take17 日系ブラジル人の葛藤(2011.6.13)
Take16 フェスタ・ジュニーナ(2011.5.23)
Take15 初めての取材旅行働(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行闘(2011.4.25)
Take13 変化の序章闘 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇II(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇I(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇II2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇I(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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