世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take21
 ブラジ龍

 村上龍が『アメリカン★ドリーム』というエッセイ集の中で言っていた。

「人々は、解放された肉体を求める。レコードは、自分が受けた感動の、確認に過ぎない。」

 なるほど、龍。たまには、いい事をりゅうな〜。

 ごめん。

 まさに、僕のブラジル音楽の受け入れ方はそうだった。

 ブラジル行く前に、知り合いがボイというブラジルのアマゾン音楽を聴いて、浮かれている場面に遭遇した。ボイのリズムに合わせて、彼は実家から送られて来たという、林檎の空箱を短パンいっちょで叩いていた。僕は、思ったものだ。「だっせ?!こいつだっせー。っつーか、何だよ。俺はこんなだっせーとこに行くのかよ」と。

 この印象が強すぎたんだろう、ブラジルには、サンバという万人のステップを誘うリズムと、ボサノバという万人の心に心地よいそよ風を送る送風機があることさえ忘れさってしまっていた。(ちなみに、出発前の僕が知っていたブラジル音楽は、サンバ、ボサノバ、そしてボイ。そして、頭の中はほぼボイに占拠されていた。)

 そんな訳だからか、ブラジルで、いろんな人のお勧めのCDを聴いてみたけど、どれもあまりピンとこなかった。

 ところが、ある日、たまたま行ったクラブで、CDで聴いたことのある曲の生演奏に触れた。曲名は今でも覚えている。Cassia Eller の Malandragen。カバー演奏だったにも関わらず、僕は初めてブラジル音楽にたいして、直感的にかっこいいと思った。龍の言う、「解放された肉体」が何を指すのかよく分からないけど、とにかく僕の身体全体がその演奏を感じて、その音の振動が心まで到達した感じ。僕はクレイジー・ダンスを止めて、その演奏に聞き入った。

 このことは、僕の音楽スタイルにもかなり大きな影響を与えた。尾崎豊と長渕剛に憧れ、高校生の頃ストリート・ミュージシャンをやっていた僕は、その後ロックに転向したものの、相変わらずThe Roosters なんかの日本語ロックにしか興味を持っていなかった。フォークソングのなごりで、歌詞にばかり重点を置く、ちんけな男だったわけです。

 それが、このことがきっかけで、いろんなジャンルの音楽が聴けるようになった。それに、自分で作る曲もバラエティーが格段に豊かになった。

 ただし、ボイ、フォホーは今でも身体が受け付けない。生演奏を何度聞いてもそうなんだから、多分一生そのままだろう。

 【前回までの記事】
Take20 アドバイス(2011.8.23)
Take19 月一回の習慣II(2011.7.18)
Take18 月一回の習慣I(2011.7.04)
Take17 日系ブラジル人の葛藤(2011.6.13)
Take16 フェスタ・ジュニーナ(2011.5.23)
Take15 初めての取材旅行働(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行闘(2011.4.25)
Take13 変化の序章闘 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇II(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇I(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇II2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇I(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



2011.9.25 世界の路地、それぞれの日々  文筆劇場・トップ