世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take22
 初ステージ

  「降りろ!バカ野郎!今すぐにステージから降りろ!なめるな!」
 初ステージには、罵声とお祭り騒ぎがつきものだ。大丈夫、ちゃんと分かってるぜ。

 ブラジルに行くことを契機に音楽は止めるつもりだった。でも、何の下心があったんだろう。僕は、アコースティック・ギターを持ってグアリューリョス国際空港を降り立った。

 そして、到着から数週間後には、中心を意味するCe(セー)という名前の付いたサンパウロ中心にあるセー広場で弾き語りを行っていた。地名が語る通り、広場は人ごみでごった返していた。サンパウロ大聖堂を背に、大声を張り上げるもほとんどの人は無関心だった。たまに寄って来る人は、決まってこう言った。「俺にギターを弾かせろ」。

 後から知った事だけど、セー広場=浮浪者の溜まり場ということだ。どうりで、東京のサンヤにココナッツオイルこぼしたような匂いが充満していた訳だ。ギターを貸さなくて本当によかった。速攻でどこかに持って行かれていたことだろう。

 と、これが僕の最初のブラジルでの演奏。その後も日本人街のリベルダーデ広場で弾き語り、確かLuz(ルース)駅近くの麻薬取引で有名な黒人街で師匠に強制され弾き語ったこともあった。ちなみに、黒人街では、師匠の予想とは逆に撃たれることも無く、逆にいかつい黒人に「お前には、神がついてる」とレアル紙幣を渡された。

 そんな路上ミュージシャンだった僕にある日突然、不意にビッグなチャンスが訪れた。それは、イタペチというサンパウロからそう遠く離れていない街で行われた、その名も‘すき焼き祭り’でのことだ。7月のことだったろうか。

 すき焼き祭りというタイトルから連想される祭りの規模は、せいぜいたこ焼きパーティーのそれぐらいのものだ。20人も集まれば、「いやだー、そんなに来るなんて思ってなかったー。誰か、追加で買い出し行って!ビールも忘れずにね!」という、女が好きそうな、和気あいあいとした混乱が生じる程度のものだと予想がつく。

 まー、そんなことはどうでもいい。とにかく僕はすき焼きが食べたくて、先輩のTさんとイタペッツまで遠征した。なんせ、イタペチ文協の会長さんは、新聞社のだいぶ先輩Oさんの弟だから、僕らは食べ放題の飲み放題なのだ。

 イタペチの街は険悪な雰囲気こそないが、南米の山間部にある小都市のイメージを再現したような町並みだった。牧歌的だけど、どこか憂いを秘めている感じ。到着したのが夕暮れだったから、余計わびしく見えたのかもしれない。この日、イタペチでは何かのお祭りをやっていた。町の中心部には露天が並び、通りも飾り付けられていた。でも、人ではまばらだ。

 屋台の変なごちゃ混ぜカクテルを飲んだ。すき焼き祭りの参加者は、三人ぐらいだろう。

 ところが、すき焼き祭りの会場となっているイタペチ文協所有の体育館に行ってみると人が溢れていた。ゆうに500人はいただろう。しかも、ブラジル人の参加者がかなり多い。それにしても、何という体育館のでかさ。僕の田舎町の中学校のそれよりもでかい。体育館にいた日本人移民や日系人の数の相対的少なさから察するに、これは、最初からすき焼き祭りを目論んで作られたものに違いない。なるほど、どうりでこんなに参加者がいるわけだ。

 文協の会長さんに挨拶をして、無料チケをもらい、イタペチのすき焼きをほおばった。少なくとも数ヶ月ぶりに味わうすき焼きだ。期待しつつも、味の予想はついていたけど、うん、やっぱり織り込み済みの味だ。

 体育館の舞台では、お決まりのカラオケにバンドの生演奏も披露されていた。さっきのごちゃ混ぜカクテルが効いているんだろうか。それともすき焼きのせいか。なんだか、僕は変な感じになっていて、舞台を盛り上げなければいけないという使命を感じていた。僕は、自分の席で手拍子を打つ事から始めて、次第にステージへと近づいて行って踊り始めた。それを見たイタペッツ文協の老役員さんは、喜んでくれて、僕に近づいて来た。

「なんだよ。君、いいじゃないか!多いに盛り上げて、そして楽しんで行ってくれよ!」

「はい、ありがとうございます!すき焼き祭り最高です!」

 そして、老役員さんは僕にも一曲どうだい、と勧めてきた。ステージにはギターもある。僕は喜んで勧めに応じた。

「はい、是非!ギターもあるんで、僕の生演奏でやらせてもらいます!」
「よろしい!大いにやってくれ!」

 こうして、聴衆500人を前に僕の初ステージが始まった。「上を向いて歩こう」から演奏を始めた。でも、違う。この高揚した会場(僕には、そう見えた)と僕の心を表現するのは、この曲じゃない。

 僕は途中で演奏をやめると、多少のブーイングも気にせず、次の曲に移った。日本の知り合いが作ったノリのいいロックンロール&ブルースだ。ただし、歌詞はイタペチ用に即興で作り替えた。

 ♪あの子探してイタペチ来たけど 見つからない見つからないのさ 誰か教えてあの娘の居場所♪

 会場にとまどいが走った気もするが、おかまいなしだ。盛り上がって行くぜ!

 ♪夢を叶えにイタペチ来たけど 何にもない何にもないのさ 何故にイタペチ来ちゃったんだろう♪

 とまどいがざわつきに変わった気がした。でも、Aメロを歌い終えて、早くも最高潮に達した僕は、間奏の合間に聴衆に向かって、イタペチ・コールを張り上げた。「イッタッペチッ!!!!!!!!!イッタッペチッ!!!!!!!!!」

 数人の頭の悪そうな白人がイッタッペチッ・コールを追いかけて来た。

 ガッターン

 椅子を地面に叩き付ける音。そして、同時に飛んで来る僕の興奮を奪う怒声。
「降りろ!バカ野郎!今すぐにステージから降りろ!なめるな!」

 例の老役員だった。それでも、最早ロックンロール・スター in イタペチに成りきっていた僕は、イッタッペチッ・コールを張り上げた。でも、「降りろ!」コールの方が圧倒的な支持を受けているらしい。Tさんに視線を向けると、Tさんも手振りで「いいから、降りろ」のサインを送っている。

 観念してステージを降りると、誰よりも早くTさんが僕のもとに駆け寄って来た。

「お前やりすぎだ。あの歌詞は、いくら何でもバカにしすぎだろう。とにかく、ここの会長はOさんの弟だし、俺たちは新聞記者だから、何とかこの場を上手く納めないといけない。とりあえず、お前は俺に殴られたふりをしろ。」

 Tさんは、僕の耳元で口早にそう言うと、「バカやろう!」と大声をあげ、僕をおもいっきりなぐる演技をした。そして、僕は殴られたフリをして倒れ込み、顔を手で覆いながら、ゆっくりと立ち上がった。そして、「ちょっとお前、来い!」と言って、Tさんはそのまま僕を外に連れ出した。

 人影のないところまで行くと、忍び笑いの爆笑顔でお互いの顔を見合わせた。「いやー、先輩。笑いこらえるのに必死でしたよ。っていうか、あれで、うまくいくんですか?」「大丈夫だよ。それより、お前反省した顔をキープしろよ。」

 少しの間を置いて、会場に戻ると、Oさんと会長が心配そうに僕らに近づいて来た。
「おいおい、ジルオ大丈夫か?」
(何?!大成功だ!!!!!)
「はい、それより、ほんとすみませんでした。」
「酔っぱらってたんだろう。しょうがないよ。」
(ちょっろ?)

 そして、老役員さんのところに謝罪に行くと、老役員さんも先輩と僕の迫真の演技に圧倒されたらしく、「酔っぱらってたんだろう」と僕を許してくれた。「じゃー、気を取り直してもう一曲」とは、ならなかったけど。
 
 こうして、僕の初ステージは、イタペチ移民の純情さのおかげで、舞台下の場面も含めて大成功に終った。多少困ったことと言えば、頭の悪そうな白人が、僕を目に留めると、相変わらず「イッタッペチッ」とふってくるぐらいだった。

 ちなみに、2014年のブラジル・ワールドカップに合わせて、イタペチのすき焼き祭りで、ヨネブラ・ジルオのディナーショーが開催されるらしい。詳細はTさんまで。

 それにしても、Tさんすげー。移民の性格を知り尽くしている。

 【前回までの記事】
Take21 ブラジ龍(2011.9.25)
Take20 アドバイス(2011.8.23)
Take19 月一回の習慣II(2011.7.18)
Take18 月一回の習慣I(2011.7.04)
Take17 日系ブラジル人の葛藤(2011.6.13)
Take16 フェスタ・ジュニーナ(2011.5.23)
Take15 初めての取材旅行働(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行闘(2011.4.25)
Take13 変化の序章闘 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇II(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇I(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇II2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇I(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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