世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take24
 夢 II 

 一つの都市的ブラジル伝説がある。ある日本人移民についての話。その人は、ブラジル北東部でモーテルを経営する実在する成功者。その人は、単身ブラジル北東部に行き、八百屋から成り上がっていった。どうやって八百屋で成功を収めたかというと、商品の陳列に一工夫こらしたらしい。新鮮な物は奥におき、古い物を前に出す。そうすることで、古い物から売れて行き、廃棄品が減った。

 そう、この成功者はしごく普通のことをしただけなのだ。でも、彼以外の八百屋は、そんなことはしていなかったから、彼はしごく儲かった。

 本当かよ!そこまで、当時のブラジル人も馬鹿じゃないだろ!
 と、今なら思うが、当時の僕は、この話を信じた。いや、むしろ、こう思った。アマゾンのブラジル人はもっと頭が悪いだろうから、あそこに行けば成功は保証されている、と。

 アマゾン行きの許可は編集長から出なかったけど、相変わらず仕事をする気にはなれなかった。でも、そう言えば、編集長にこんな事も言われていた。

「実は、Mさんが辞めるんだ。だから、お前のような奴にでもいてもらわないと困る。」

 Mさんは、大手日系企業をリストラにあい、僕が来る少し前にこの新聞社に入った移民で、数十年前の日本の流行を現在もそのままに体現している貴重な人だった。最後に日本で見た映画は、加山雄三の『ブラボー!若大将』(1971年)に違いない。髪型、ひげの形、チョッキ、顔、etc。

 「銀行に勤める息子の方が、俺より給料よくてさ、本当、なさけないったらありゃしない」が口癖だったMさんは、給料のいい新しい職場を見つけたんだと。アマゾンに行きたい俺とは事情が違うんだと。

 ここ1月ろくに仕事をしていない男が言うのも何だけど、確かに人手は足りなくなる。Mさんが辞めて、俺がばっくれたら、けっこうな迷惑になるのは、仕事をしない男にも分かった。
 でも、でも、、、葛藤は深まるばかりだった。

 そこで、いろいろな人に相談をした。そして、ボアッチに連れて行ってもらった。「どうすればいいか分からないけど、とにかく元気だせよ」って。

 ただ、ボアッチに連れて行ってもらう度に、瞬間的に僕のアマゾン・ダイブ願望は落ち着きを見せた。それもそのはずだ。何故、アマゾンに行こうとしたのか、胸に手をあて、もう一度当時の自分と向き合ってみる。そうなんだよ。僕はただやりまくりたかっただけなんだ。だから、アマゾンで成功して、もてまくりのやりまくりってこと。

 だって、日本から持って来たお金は、とっくに底をついていて、いい女とやりまくりたくてもあの新聞社の給料じゃ無理だもん。サンパウロでもてるにはお金がいるもん。置屋はあきたもん。オナニーも毎日してるもん。

 もん!もん!もん!もんもんもん、悶々々・・・・・

 純一郎・小泉首相(当時)がブラジルにやってきたのは、ちょうどそんな時だった。邦字紙にとって、首相の記事を書くというのは、かなりのビッグイベントだ。僕がホイットニー・ヒューストンとデートするようなものだ。うちの記者陣はほぼ総出で、首相関連の取材にあたることになった。Mさんもそれまでは、辞められない。

 編集長は、僕にも今回だけはとにかく頑張るように言った。そして、こう付け加えた。「ここで、ちゃんと仕事しなかったら、もう辞めていいよ。こっちから願いさげだ。」

 相変わらずほとんど仕事をしない僕に編集長は、もういい加減耐えきれなくなったんだろう。そう、つまり、やっとアマゾン・ダイブの仮許可が降りたのだ。

 これが最後の仕事になるかもしれない。僕は、取材を頑張った。そして、小泉が移民の慰霊碑を参拝した時、僕はガードマンの死角をつき、報道陣立ち入り禁止エリアに侵入、小泉と対面、そして「首相、ご感想を!」と唇をとがらせた。小泉は30秒ほど立ち止まって、感想を語ってくれた。「移民の方の苦労を思うと、涙が出そうになる」とか何とか、かみしめるように言っていた。(僕はその時、「感動した」。一瞬だけ、小泉が大好きになった。)
 
 この一言は僕だけが入手したものだった。会社に帰って、この一言を報告すると、みんなが「大スクープだよ!」と言って褒めてくれた。編集長も僕を褒めてくれた。だって、弱小邦字紙にしてみたら、ホイットニー・ヒューストンの不倫を単独で報道することに等しいのだ。翌日の新聞には、僕が撮影した写真と一緒にでかでかとこのビッグ・スクープが掲載された。

 「いやー、僕は思いましたよ。この新聞社、俺がいなけりゃ駄目だなって。

 えっ?Mさんですか?あの人は、逃げるように辞めて行きましたよ。僕は、しょうがなく残ってやりましたけどね。」

 【前回までの記事】
Take21 夢(2011.11.6)
Take22 初ステージ(2011.10.4)
Take21 ブラジ龍(2011.9.25)
Take20 アドバイス(2011.8.23)
Take19 月一回の習慣II(2011.7.18)
Take18 月一回の習慣I(2011.7.04)
Take17 日系ブラジル人の葛藤(2011.6.13)
Take16 フェスタ・ジュニーナ(2011.5.23)
Take15 初めての取材旅行働(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行闘(2011.4.25)
Take13 変化の序章闘 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇II(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇I(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇II2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇I(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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