世界の路地、それぞれの日々
 ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take25
 夢のひとしずく 

 アントニオ猪○のビンタを食らったのは、小泉来伯から一月ほどたったことだ。新聞社に残ることを決め、仕事も再び頑張りだしたものの、やっぱりアマゾンでの成功の事を想像してか、さえなかった。

 その日も、僕の心のように冴えない天気だった。相変わらず昼前に出社し、自分の存在を忘れられぬように、みなさんにあいさつをして、そのまま昼飯を食べに行こうとしたら、デスクが言うのだった。

「今、猪○が会社の近くにいて、インタビューに応じてくれるらしいから、今すぐ、行ってこい」。
「えっ?猪○って、あのアントニオ猪○ですか?」
「そうだよ」
「えっ?でも、何を聞いたらいいんですか?っていうか、何で猪○がいるんですか?」
「分からん。よく分からないけど、とにかく今すぐ行ってこい」

●インタビュー前に僕が持っていた猪○知識:蟻キックでモハメド・アリの足を骨折させた。奥さんとデート中にタイガー・ジェット・シンに襲われた。一時期、ルンペン風に変装し、顔も隠してルンペン・レスラーとか名乗っていたこと。

●インタビュー前に僕が持っていた対猪○感情:ルンペン仮面レスラーの写真、その写真を見る前はどういう風に猪○のことを思っていたのかも思い出せないぐらい、それは衝撃的だった。めちゃくちゃうけた。コンビニで立ち読みしながら、友達と「こいつアホだろ!」と大笑いした。顔を覆う布切れからあごがはみ出してしまい、猪○であることがばればれだった。何て強烈なアイデンティティーを持ったアゴだろう。

 でも、猪○の生年月日といった基本的知識はほぼ皆無だった。それに、何しにブラジルに来たかぐらい知っていないと、まともなインタビューにならない。ネットで調べようとしたけど、その時間も与えられぬまま、デスクに会社を追い出された。

 会社近くの宝石屋の二階にある事務所で猪木は待っていた。(あとから分かったことだけど、この宝石屋の主人は猪木の親戚だという。)何だか現実味が湧かなかった。(あほだと思っていたとは言え、)猪木はかなりのビッグスター。そんな人にこんな突然、インタビューできるとは。階段を上る。扉を開ける。

 あご、長!!!!!!!!!!

 猪○の顔を見た瞬間、一気に緊張がほぐれた。あの写真が脳裏をよぎったのだ。親近感が湧いたというか、一種の優越感を覚えたんだろう。そして、インタビューはこの優越感をベースに進められた。

「猪○さんの本名って、何て言うんですか?生年月日は?」
「猪○さんって、ブラジルで生まれたって本当ですか?」
「タバスコを日本に広めたのは、猪○さんって本当ですか?」
「で、猪○さん、いったい何しにブラジルに来たんですか?」

 15分間ぐらい、いろいろと聞いたけど、主な質問はこんな感じだったと思う。実を言うと、会話の内容はよく覚えていない。

 ただ、はっきりと覚えているのは、一つ目の質問の時点で猪○はきれていたってこと。インタビューの15分間中、8分間は僕をにらんでいた。殴られるんじゃないかと思ったぐらいだ。基礎的な猪○知識を欠いた質問が、そして僕の優越感を秘めた態度が気に入らなかったに違いない。僕の視線が、猪○の目からあごへと、度々移動するのも気に障っただろう。

(うちの新聞社の記者が他にも二人、ただ猪○を見たいということで、観客として来ていたけど、彼らに視線を向ける時の猪○のそれは、やさしかった。一人は女で、その子には笑顔も見せていた。ちなみに、僕の猪木に対する余裕な態度を見ていた先輩記者は、「お前、すげーな。芸能記者にでもなれば。」と取材後に言っていた。例の写真のおかげだとは想像もしなかったろう。)

 ほとんどの質問に「自分で調べろ」って答えが返って来たけど、「何しに来たんですか?」の質問にだけは、(いらつきながらも)しっかりと答えてくれた。

 今はおそらく開催されていないけど、当時猪○は、アマゾン川に特設ステージをくみ、日本やブラジル、アメリカなどから呼んだプロレスラーをファイトさせるというイベントを行っていた。その名も“ジャングル・ファイト”。そのイベントが終了して、親戚の家に立ち寄ったわけらしい。

 殴られるんじゃないだろうかとは思っても、最後まで優越感的親近感を失わなかった僕は、インタビューの最後に猪○にこう切り出した。

「猪○さん。例のやつ、一発お願いします!」 
 猪○は言う。
「駄目だね。あれ、一発いくらすると思ってんだ。」
 きっぱり断られても引き下がる。
「いや、そこを何とか!日本からはるばるやって来たこの悩める男(事実)に闘魂を注入して下さい!お願いします!」
 「・・・・・・・」

 猪○は無言で立ち上がると、僕にも立つように促した。
「えっ?!やってもらえるんですか?!」
 そう、僕が言い終えるかどうかのタイミングで、猪○は僕のみずおちに突きを入れ、「ハウッ」っとなったところに、おもいっきし(あれは間違いなく、おもいっきし)闘魂を注入した。

 僕はぶっ倒れた。起き上がると左目から涙がこぼれていた。
「痛っー!あ、あ、あぎがとうごじゃいしゅ」

 こんななめたインタビューをする奴に闘魂を注入してくれる猪○は、かなりいい人に違いない。ただ、観客として来ていた同僚が言うには、あのビンタには怒りが込もっていたらしい。それが闘魂注入を引き受けてくれた理由でないことを願おう。でも、そうだ、そんなはずはない。もう10年以上猪○は、毎年冬に新宿中央公園で炊き出しや防寒着の配布を行っている。だてに、ルンペンに変装していたわけではないのだ。

 それに、猪○がジャングル・ファイトを開催した理由。それは、アマゾンの森林保護。僕が夢見ていたアマゾンで、猪○はかなり大きなことをなしていたのだ。つまり、猪○は僕の夢を肩代わりしてくれたんだ。アントニオ猪○、それはかなり尊敬に値する人物だ。本当に凄い人だと思う。今度、もし仮に会う事があっても、(あの写真のことさえ思い出さなければ、)この時のような態度はとれないだろう。

 そう言えば、闘魂注入の30分後、僕はビールを飲み、気合いは泡とともにカフェの薄汚い天井へと溶けて行った。

 すみません。もう一発、お願いできますか?

 【前回までの記事】
Take24 夢II(2011.11.19)
Take23 夢(2011.11.6)
Take22 初ステージ(2011.10.4)
Take21 ブラジ龍(2011.9.25)
Take20 アドバイス(2011.8.23)
Take19 月一回の習慣II(2011.7.18)
Take18 月一回の習慣I(2011.7.04)
Take17 日系ブラジル人の葛藤(2011.6.13)
Take16 フェスタ・ジュニーナ(2011.5.23)
Take15 初めての取材旅行働(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行闘(2011.4.25)
Take13 変化の序章闘 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇II(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇I(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇II2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇I(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


 【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

 年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



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