世界の路地、それぞれの日々
ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take28
 探検

 あのビルに行った事はあるだろうか?

 サンパウロの旧市街、パリに憬れた古い建物が均等な高さと面持ちで並ぶ、ヘプブリック広場周辺。そこに点在するビルのことだ。散歩と運動を兼ねて、昼休みにたまにそこに行ったものだ。建物全体が置屋になっているビルへ。そして、また歩き出したものだ。可愛い子を求めて、別の置屋ビルへ。

 6階の最上階まで、階段の踊り場には腕を組んだ客待ちの娼婦が立ち、「社長、社長」と声をかけてくる。なかなか、そこで可愛い子を見つけることは難しかったけど、その雰囲気だけでも楽しむことができた。安っぽさ、汚さ、少しの危険な匂い、そして惨めさよりもリズミカルな軽さがそこにはあった。

値段は10レアル(当時約300円)前後。横1.5メートル、縦2メートルごとに、一室をベニヤ板で区分けして、そのそれぞれにベッドが置かれていた。当然、ベッドはシングルベッドよりも小さく、シーツは汚かった。なぜだか、サンパウロ州の南にあるパラナという州から来た、白人に近い混血の若い子の事を覚えている。特別可愛かったわけでもないけど。

 置屋ビルと言えば、サンパウロ州の北西にあるミナス・ジェライス州の州都ベロ・オリゾンテのゾナ地区の話をするべきだろう。置屋ビルだけしかない、娼婦の地平線(=オリゾンテ)が見える一画。でも、この話はまた別の機会があれば書く事にして、今回はサンパウロのことを続けよう。

 ヘプブリック周辺には、個室ビデオ屋さんも多かった。個室ビデオ屋の入ったビルは、入り口からしていか臭かった。僕も一度だけ行ったことがあるけど、あの匂いが充満した空間に愛着を持つまで居続けたら、ゲイになっていただろう。あの何重にも重なった精子の匂いには、異様な性欲をかきたてるところがある。それに、実際、いくつかの個室ビデオ屋はゲイの出会いの場になっていたそうだ。

 また、アダルトショップもこの周辺には多かった。ブラジルのAV事情を調べるために行ったものだ。“ブッカケ”が世界共通語になっていることを知ったのも、ここでだ。
そう言えば、アダルトショップで素人AV男優の募集をしていたことがあった。確か「カーニバル・ナイト」という毎年恒例の企画AVのためで、出演男優は仮装用メガネの着用が許されていた。当然、応募したけど、定員オーバーで断られた。

 今は分からないけど、当時のサンパウロにはいたるところに置屋があった。僕の家の半径100メートル内にも5件は置屋があった。周囲と違って、ピンクとか蛍光っぽい緑のペンキで一軒だけ塗られているようなところは、入ってみると大抵置屋だった。

 探し歩いたものだ、いい置屋を求めて。地下鉄の終点、サンパウロ市街のはずれにあるピニェイロスまで行った事があった。そこには、アウグスタ周辺に負けず劣らず大量のボアッチがあった。ただ、そのほとんどが限りなく置屋に近かった。ピニェイロスのボアッチは置屋ッチと呼ぶことにしよう。ボアッチはバーでもある。置屋でもビールぐらい頼む事はできる。でも、ボアッチにはバー・カウンターが必ず設置されている。もちろん、置屋ッチにもバー・カウンターはある。それでも、何と言うか店全体の雰囲気があまりにも安っぽすぎて、ボアッチと呼ぶには抵抗がある。

前回も言った通り、ビバリーヒルズ青春白書的シーンがそこにはあった。薄暗い店内、赤いライトに照らされた姿勢のいい若者と階段のような椅子に座った背筋の伸びた娼婦、そのシルエットはまさに青春だった。

アウグスタの庶民向けボアッチの相場は50レアルなのに対し、ピニェイロスのそれは20レアルほどだった。残念なのは、置屋と置屋ッチの女の子のレベルはほとんど変わらないことだった。

 あれから、もう7年が経つ。サンパウロのあの愛する置屋たちはどうなっているのだろうか?何だか不安になる。どうにか高度成長の荒波の中でも、その命を守り続けて欲しい。そして、出来ることなら中国人の手から逃れて欲しい。東京の置屋は完全に中国に占領されてしまった。パリでも中国人タチンボの姿がよく目につく。ブラジルの経済成長が中国よりも遅くなることを願おう。

 【前回までの記事】
Take27 幼き過失
Take26 食ジル(2011.12.12)
Take25 夢のひとしずく(2011.11.29)
Take24 夢II(2011.11.19)
Take23 夢(2011.11.6)
Take22 初ステージ(2011.10.4)
Take21 ブラジ龍(2011.9.25)
Take20 アドバイス(2011.8.23)
Take19 月一回の習慣II(2011.7.18)
Take18 月一回の習慣I(2011.7.04)
Take17 日系ブラジル人の葛藤(2011.6.13)
Take16 フェスタ・ジュニーナ(2011.5.23)
Take15 初めての取材旅行働(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行闘(2011.4.25)
Take13 変化の序章闘 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇II(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇I(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇II2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇I(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。



2011.12.31 世界の路地、それぞれの日々  文筆劇場・トップ