世界の路地、それぞれの日々
ブラジル、どうしようもない日々
                 ヨネブラ・ジルオ記
 Take30
 リオデジャネイロの懲りない面々

 バスを降りるとかなり危険な目をした奴がフェンス越しにこっちを見ていた。世界有数の犯罪都市、間違いなくリオがそうであることは、その瞬間に分かった。平気で人を殺す目をしていた。フェンスの外に出るのが正直怖かった。サファリパークのライオン地帯でバスから降りろと命令されたら、こんな気持ちになるだろう。

 サンパウロだとファベーラは郊外にしかない。でも、リオは郊外ばかりでなく街中にも無数にファベーラが入り混じっている。(サンパウロにも危険地帯は街中に無数にある。ファベーラはマフィアが統治する無法地帯のようなもの。)バスターミナルの周辺もファベーラがあり治安が良くない。恐怖感のせいか、混沌としたターミナル周辺は人々の欲望や羨望、不満で風船のようにふくれあがり、鋭い日射しに今にも破裂しそうに見えた。さすがにタクシーに乗った。(僕自身はブラジルでタクシーに騙された事はないけど、ぼったくり、危険地帯への拉致の話はたまに耳にした。サントスの長距離バスターミナルのタクシーは、ぼったくりで有名だった。)

 割とビーチの近くにある安宿の場所を会社の先輩から聞いていたから、まずはそこに向かった。シャワー・トイレ共同、扇風機付き個室で一泊60レアル(当時1800円)ぐらいだったと思う。リオは世界的な観光地だけあって安宿でも高い。シャワーを浴びると、偵察に出かけた。宿周辺は比較的治安もよく、むしろ開放的な雰囲気だった。とげとげしく見えた太陽もここでは夏をあおるだけだった。そして、コパカバーナ・ビーチに着くと、バスターミナルで覚えた恐怖感なんて最早どうでもよくなっていた。世界に名高いリオのビーチ、ブラジリアン・ビキニギャル。最高、憧れの場所についにやってきた。当然やれる。ここもビジネス可能。

 僕の社長道具は前回よりグレードアップしていた。露天商が使う脚立付きの平たい木箱(取手付き)を50レアルで手に入れ、習字以外にも会社にあった日系移民の古い白黒写真を商品にラインナップ。宿に引き返し、社長道具を持ってくると、さっそくビール片手に客寄せ用の習字を書き始めた。今回は自分からビキニ中心に声をかけた。でも、結果はサントスと何も変わらなかった。尻のでかい女はバカだと聞いたことがある。

 陽が傾いてくると、社長道具を抱えビーチ周辺の路地を歩いた。とある一画に行くと、露天商が軒を連ねていた。彼らに聞くと、別にショバ代の問題はないらしい。木箱を拡げ日系移民の写真を陳列した。数日前に日本人の老夫婦がここで襲われたと他社の新聞に書いてあったけど、別に襲われてもいい気分だった。危険も承知で写真を撮りまくった。会社のカメラだし、とられてもいいと思っていたのも否定できない。やはり海のある街はいい。写真は一枚も売れなかったけど、意味不明にハイテンションだった。

 日が暮れたところで晩飯を食い、宿に戻って仮眠した。10時過ぎに目を覚し、通りでタクシーを拾った。運転手に若者が集まる場所に連れて行って欲しいと頼むと、ラパ(Lapa)というリオの中心部にある地区に連れて行ってくれた。植民地時代に建設されたアルコス・ダ・ラパという水道橋からこの地名は来ているらしい。この橋は現在でも残っていて、主に橋の南側にクラブやライブハウス、バーが集中していて、カリオカ(リオデジャネイロの住人)の夜のプレイスポットになっている。

 橋の西側には隣接して小さな丘があり、現在は分からないけど、当時そこはファベーラだった。10年ほど前から政府がこの地区の再開発に乗り出していて、現在はだいぶ一般的なプレイスポットになっているらしい。でも、僕がいたのは7、8年前だから、再開発もまだそれほど進んでおらず、アンダーグラウンドな刺激的雰囲気が漂っていた。

 タクシーを降りると、さっそくサンバの生演奏が聞こえてきた。プレハブを大きくしたような建物は、フライパンの上の油のように打楽器と人々が飛び跳ね、歓喜の狂乱状態だった。ブラジル人はサンバのために生きていると言われるけど、カリオカたちのあの我を忘れた気持ちのよさそうな顔を見る限り、それもうなずける。集団エクスタシーを求めて、僕も酒を飲みやたらと腰を振った。

 そこで僕は同い年ぐらいのブラジル人男女(カップルではない)と仲良くなった。生演奏が終わると、僕は彼らについてマリファナ臭い路地にあるバーに行った。そこで僕らはラリった。そして、その状態のまま屋台が軒を連ねる橋の方へ向かった。土曜の夜ということもあって、人が溢れ、僕らはお祭り気分でぶらぶらしていた。怒鳴り声が聞こえてくる。誰かが喧嘩を始めたらしい。祭りに喧嘩はつきもの。

 興味本位に僕は声の方に目をやった。揉めていたのは一緒に遊んでいた男だった。相手は複数。そして、明らかに彼らは丘の上から降りてきている人たちだった。彼らはその男ごと、どこか暗いところに行こうとしていた。どこかで決着をつけるつもりなのだろう。その男と目が合うと、彼は「お前も一緒に来い」と僕に向かって言った。僕はラリっていた。狂っていた。それで、よく分からないけど僕もやってやろうと一歩足を前進めた。

 でも、その時誰かが僕の腕をつかんだ。もう一人の女だった。「駄目、絶対に行ったら駄目だよ。一緒に逃げよう」。確かに付いて行ったら、命の保障はない。多分殺されるだろう。僕は我に返り、その子と一緒に走りだした。

 彼らの誰かが僕らを追ってきていたかは分からない。僕の頭は冷凍倉庫に入れられた魚のように急速に冷静になり、しばらくどこか安全な場所に身を隠してから、宿には帰ったほがいいと判断した。逃げている途中に女の子とは、はぐれていた。でも、彼女を探すこともせず、近くの観光客用のクラブに逃げ込んだ。クラブのソファーに腰をかけると一気に恐ろしくなってきた。今朝バスターミナルで見た顔を思い出す。やはり、この街はやばい。

 今振り返ると、当時の僕は狂っていた。そんな出来事があったにも関わらず、次の日はリオに住む友人に会い、嫌がる彼を強引に危険地帯の案内人にしたてあげた。朝彼に会い、ビーチでココナッツ・ジュースを飲んだことで、またどうでもいい気分になったのだろう。その日は、タクシーが集団に襲われているのを目撃。ファベーラへの潜入を試みた結果、1キロ近く追いかけられ、やっばい置屋街では警察にかつあげされそうになった。それでも置屋で女を買い、彼女のことが好きになり、調子に乗って料金以上のチップまで渡した。それに、この二泊三日のリオ旅行はかなり楽しかったイメージとして記憶の中に分類されている。

 けっこう離れたところまで一緒だったから、彼女は大丈夫だったろう。連れて行かれた男はどうなったろうか。ただただ命があることを願うばかりだ。

【前回までの記事】
Take29 社長(2012.2.10)
Take28 探検(2012.1.18)
Take27 幼き過失(2011.12.31)
Take26 食ジル(2011.12.12)
Take25 夢のひとしずく(2011.11.29)
Take24 夢II(2011.11.19)
Take23 夢(2011.11.6)
Take22 初ステージ(2011.10.4)
Take21 ブラジ龍(2011.9.25)
Take20 アドバイス(2011.8.23)
Take19 月一回の習慣II(2011.7.18)
Take18 月一回の習慣I(2011.7.04)
Take17 日系ブラジル人の葛藤(2011.6.13)
Take16 フェスタ・ジュニーナ(2011.5.23)
Take15 初めての取材旅行働(2011.5.9)
Take14 初めての取材旅行闘(2011.4.25)
Take13 変化の序章闘 (2011.4.18)
Take12 初めての取材旅行(2011.4.11)
Take11 変化の序章(2011.4.4)
Take10 ご近所案内(2011.3.28)
Take9 耳を澄まさなくても聞こえる(2011.3.21)
Take8 ブラジル渡航のわけ(2011.3.14)
Take7 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇II(2011.3.7)
Take6 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 サルバドール篇I(2011.2.28)
Take5 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 フォルタレーザ篇(2011.2.21)
Take4 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇II2011.2.14)
Take3 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 べレンの舞姫篇I(2011.2.7)
Take2 ハード・ネイティブ長距離バス旅行 マラバ篇(2011.1.31)
Take1 ハード・ネイティブ長距離バス旅行(2011.1.24)


【筆者紹介】 ヨネブラ・ジルオ

年齢不詳。大学中退直後、ブラジル、サンパウロにある日刊邦字新聞社で2004年4月から記者を経験。会社の社員寮がスラム街的な場所にあったためか、どうしようもない1年を過ごした(らしい)。その後、紆余曲折を経て、現在はフランス、パリのアンダーグラウンド・シーンで音楽活動をしている。本連載『ブラジル、どうしようもない日々』は、パリで暮らすジルオがブラジル生活を回想して書いた実話。

著書に『もう一つのパリ』。



2012.5.4 世界の路地、それぞれの日々  文筆劇場・トップ