世界の路地、それぞれの日々
 青春インド
                      入土 仁 記
 Take3 Train train train
 
 インド二日目の夜、また、夢を見た。

 野良牛が話かけてきた。「いつ、来たの?何回目?僕の背中に乗ってみない?」僕は、何故かわらしべを片手に、勧められるままにそいつの背中に乗った。「わははっ、きゃきゃきゃっ」野良牛の背は高く、そこから見るメインバザールの景観はオアシスのような穏やかさで、自然と僕は楽しくなった。わらしべで野良牛君の鼻にいたずらをすると、野良君も笑った。

 そして、野良君は言った。
「はい、終了。はい、100万円」
「えっ?そんなお金払えないよ。インドに来たばかりの僕に優しくしてくれたんじゃないの?」

 僕がそう答えると、野良牛は僕を振り落とし、切れ気味に言った。「俺はシバ神(ヒンドゥー教の三大神の一人)の乗り物だぞ!」そして、周りのインド人に向かって叫んだ。「ここに、僕の背中に乗るという、シバを冒涜する行為を働くジャパニーズがいるんですけど!!」

 押し寄せる狂った目のインド人たち、飛び散る糞尿……

 デリーに一月滞在するつもりだったけど、こんなところにいたら、そのうち僕はインド人のように首を左右に振るようになるだろう。そして、中学生の頃を思い出し、観光客やインド人を相手にかつあげを再開してしまうかもしれない。青春を取り戻すという意味では、それも正解だろう。でも、この年でそんな青春は、ださすぎる。

 翌日、僕は、夕方の3時ぐらいまで宿にひきこもり、それから気力を振り絞って、殺意と闘いながら、メインバザールのはずれにあるニューデリー駅へと向かった。

 デリーから東へ数百キロ行ったところに、バナラシという街がある。ガンジス川の中腹に位置する、ヒンドゥー教最大の聖地。紀元前から存在した街で、現在でも昔さながらにヒンドゥー教の慣習に則って生活している人が多い。インドを出る直前に知り合った友人が、「インドに行くならここに行かないと意味がない」とまで言っていた。

 デリー以外ならどこでもよかった。いや、本当言うと、もうインドから脱出したかった。でも、まさか日本に帰るわけにはいかない。「今度、いつ日本に帰るか分からない」と周りの人に告げ、5個ぐらい送別会を開いてもらい、片道切符を手に成田から飛びだったのだ。その友人の言葉を信じて、バナラシがデリーとはまったく違う街であることを祈るしかなかった。

 ニューデリー駅構内は、駅で生活しているのか、列車を待っているのか判別のつかない人々によって埋め尽くされていた。家財道具一式はあろうかという荷物を囲んで地べたに座り込んでいる集団が、ここにも、そこにも、あそこにもいたるところに群生していた。サバンナとは、こんな感じなんだろう。ただ、幸運なことにニューデリー駅には、外人用の切符売り場というものがあって、一般用チケット売り場前の密生する集団と競合し、もみくちゃにされながら切符を買う必要はなかった。

 とはいっても、インドには順番という観念がないのか、外人用の切符売り場の職員は、いくら待っても僕に順番をまわす気配がない。つまり、前の人がチケットを取り終えた瞬間に、そのカウンターに飛び込まなければならないというシステムなのだ。あー、イライラした。「一刻も早く、デリーを脱出させろ」何度も心の中でわめいた。出発は当然その日の夜。

 ホームには既に列車が到着していた。僕が慣れていないせいなのか、いや、インドの列車の表示は相当分かりにくい。駅についてから、自分の乗る列車にたどり着くまでに、30分かかった。僕が予約したのは、寝台の二等席。デリーからバナラシまでは約9時間かかる。到着は明朝。

 列車に乗り込み、指定された座席に行くと、巡礼者風の台湾人女子と、インド人女性の格好をしたイスラエル人女子、同じく南米系アメリカ人女子の三人が既に座っていた。そこは、よく言えばBOX席になっていて、(とは言っても通路とは仕切られていない)、向かい合わせに限りなく長椅子に近いベッドが二つ配置されていた。

 「すみません、ここ僕の座席だと思うんですけど」。その中の一人が僕のチケットを確認して言った。「うん、そうね。どうぞ、どうぞ」。彼女らは僕のスペースを作ってくれたものの、どこか別のBOXに移動する気配はみじんもない。

 まさかと思い、聞いてみた。「君たちのベッドはどこなの?」
「ここだよ」そう言って、上を指差した。なるほど、BOXの両壁には、やはり限りなく長椅子に近いベッドがもう二つづつ畳んだ状態で壁に添え付けられていた。つまり、隠れ三段ベッドなわけで、ここは、6人用のボックス席らしい。

 となると、問題が生じる。僕の荷物の多さだ。アコースティックギターに、友達から借りたバッグパック一つ、さらにインドに行くというのにノートパソコンまで装備して、それを入れる為のリュック(これも別の友達に借りた)まであった。荷物の置けるスペースは一番下のベッドの下と自分のベッド(を壁から横に倒した時にのみ使える)スペースだけ。

 台湾人の女の子は、巡礼者っぽいだけあって、荷物は基本的にバックパックのみ、あえて難をつけるとしたら、2メートルほどの杖を持っていたぐらい。後の二人は、バナラシの大学の学生で、デリーには遊びにきていただけだったので、荷物は各リュック一個ぐらいしかなかった。とはいえ、自分の荷物でベッド下スペースの一つは封鎖。もう一つも三人の荷物で、あと半分しか空きがない。このまま、残り二つのベッドが空いたままであることを願ったが、まもなく北欧人のカップルがバックパックを各1持ってもやってきた。僕のギターは向かい合ったベッドとベッドの間のスペースにおかれることになった。

 列車は走り出した。僕のギターは揺れた。6人座れば、ただでさえほとんど隙間のない両ベッド間のスペースで、僕のギターは、修学旅行の記念写真に載ろうとはしゃぎ回る中学生と同じぐらい、その存在感をアピールしていた。

 僕は、自分の荷物の多さが恥ずかしかった。インドに行くというのに数日前に新品のスリムジーンズを買い、それをこの場で履いている自分が恥ずかしかった。夜なのに列車の中でサングラスをしている自分が、「この人、自分の不細工っぷりをごまかそうとしているのね」と思われている気がして、惨めだった。しかも、取るタイミングを失った。「この人、やっぱりごまかしてたのね」と思われる気がして。パソコン、電子辞書、最新のレコーダーを持っている自分が場違いな気がした、と同時に少し金持ちにでもなった気がして悪い気もしなかった。

 伝えておくべきことがある。僕は、いかにも英語が話せますといった感じで、この文章を書いてきた。特に、会話の部分。確かに、僕は修士課程を出ているから、英語の文章は多少読めた。いや、正直、英会話もそこそこできると思っていた。でも、この時知ったのだ。自分の英語は理解されない、そして相手の英語も理解できないということを。

 ドスやインド人ポリス、例のおっさんと意思疎通できたのは、彼らの英会話もひどかったからなのだ。ドスの英語の訛りしかり、インド人(全般)の訛りしかり。ただ、変に思うかもしれないけど、そのひどい訛りのおかげで逆に理解しやすいのだ。東京の人より、沖縄の人の方が東北弁を理解できるのと同じだ。(本当にそうかは知らないけど)。

 でも、このBOXにいた人は自分以外、ネイティブ並みに英語が上手だった。僕の自己紹介と簡単な言葉ぐらいは理解されたし、僕も理解できた。でも、それ以上先に進むと理解きなかった。しかも、複数の人で話はじめると、何について話しているのかさえ分からなかった。

 そんなわけで、僕は車窓から流れる景色を眺めていた。いや、外の景色は真っ暗に近かったから、本当はほとんど何も見えてすらいない。

 つまり、ただ泣きそうな顔をみんなから隠していただけだ。何故なら、ただ一人、みんなの輪の中に入って行けないのだ。

 頑張って入っていこうとして、一言発しても乾いた愛想笑いのあとに、BOX内の時間が一瞬止まるだけだった。そして、その一瞬の間も、みんなの表情を気にしている僕の時間は止まらない。だから、時間が動き出した時には、列車が進んだ分、僕はBOXより先に進んでいて、僕はもうBOXの中に存在していないに等しかった。

 ギターもろとも車窓から退場すべきか悩んだ。そんな時に南米女子、イザベラが言うのだ。「ジン、何か演奏してよ!」

 断りたかった。僕の声はでかいし、曲はほとんどうるさいのしかない。それに、僕は自己嫌悪に支配されている。でも、これは輪の中に入るチャンスだった。

 僕は、ギターをケースから取り出し、少し無理な姿勢で歌った。二曲ほど歌い終えると、隠すようにギターをしまい、また車窓に顔を向けた。

 BOXの位置は、さっきよりもずれていた。
 
【バックナンバー】
Take3 Smells like India 2 (2011.10.15)
Take2 Smells like India  (2011.10.1)
Take1 こんにちは、青春 (2011.9.28)

【寄稿者紹介】入土 仁(インド・ジン)。2008年春、大学院で社会哲学の修士号を取得後、一職人として建築現場で働いていたが、その年の秋に突如インドIN。現在、宇宙飛行士を目指す入土仁が、過酷な訓練の最中に回想した、青春インド放浪記。実話。



2011.11.23 世界の路地、それぞれの日々  文筆劇場・トップ