世界の路地、それぞれの日々
青春インド
                      入土 仁 記

 Take8 ガンジス川のほとりにて3

 アナの乗る汽車を待っている時、絡んできたインド人がいた。何を言っていたかは分からないけど、明らかに僕らを馬鹿にしていた。アナの手前もあり「何だお前?失せろ」と、僕はそいつに詰め寄った。でも、そいつは引き下がらない。アナの手前、僕も引き下がれない。その時、幸運にもとっさに仲介に入ってくれたインド人の若者がいた。25歳ぐらいの笑顔の素敵な純朴な青年だった。

 アナを見送った後、僕はこの青年、ムカと一緒に歩いて宿まで帰った。インド人と二人きりで1時間も話をしたのは、これが最初だった。ムカは優しい男だった。「気晴らしに歩いて帰ろう」とムカは言ってくれた。そして、駅前で外人に声をかけまくるインド人を上手くいなし、僕に向かって吠え立てる野良犬を石を投げるフリで追い払い、「仁、そこにうんこがあるぞ」と僕の足下にも気を配ってくれた。

 彼は、インドの名門大学の一つバナーラシ・ヒンドゥー大学で、インド哲学を選考していた。そんな彼が言った。「ユー ラック ペイションズ」。つまり、僕には忍耐が足りないのだと。彼は見抜いていた。さっきはアナの手前と言ったが、実は普通に腹が立っていたし、普段からこの手のもめ事に参加しがちだ。ここに探していた理想的なインド人がいた!僕はそう思い、彼にデリーで出会ったむかつくインド人らのことを明かした。普通、自国民のことを悪く言われたら、いい気持ちはしない。でも、彼なら理解してくれるだろうと思った。そして、その通り、彼は僕の愚痴を最後まで微笑みながら聞いてくれた。それから最後に彼は言った。「仁の怒る気持ちもよく分かる。でも、やっぱり君には忍耐が足りないよ」。

 この国に僕はこれを期待していた。腹の立つインドではなく、僕の精神を開いてくれるインド。彼の言葉にリュービック・キューブの一面を揃えた気になった僕は、彼の望むままに3本ほど煙草を差し出した。

 イザベラの住む、オウム信者の住む宿。あそこは、バナーラシに長期滞在する外人がほとんどで、またバックパッカーではないそういう外人の溜り場になっていた。英語を共通語とする彼らは、バナーラシ、インド、インド音楽への造詣が深く、そのせいか我々バックパッカーに対して、ある種のエリート意識を持っていた。イザベラに会いに何度かそこに遊びに行ったけど、なかなか彼らの輪の中に入れてもらえず、中には挨拶しても無視する奴までいた。何度か殴るタイミングを計った。

 でも、僕はムカの言葉によって、苛立ちを押さえ、現地の中学生たちと一緒にインド人の私立塾で英語を習い始めた。相手にされないのは、英語をしゃべれない私が悪いのだと。また、タブラーという楽器も習い始めた。悪いのは、まったくインド音楽に無知な私だと。

あの日以来、2、3日に一度はムカと会うようになった。ムカは僕に瞑想の本を二冊ほどくれた。そして、僕は彼に煙草をチャイを昼飯を差し出した。一度、彼が僕の手を握って来たことがあった。インドでは、大人でも男同士で手をつないで歩いていたりする。それは知っていたが、あまりにも長い間、日本人青年男性の感覚に浸っていたため、生理的にそれを払いのけた以外は、ほとんど彼の要求をのんだ。たいした金ではないし、彼は貧乏学生、それに僕に高貴な精神を授けようとしてくれている。

「靴が欲しいんだ。お金を貸して欲しい」。出会ってから5日目ほど、たまたま通りかかった靴屋の前でムカが僕に言った。ムカの靴を見ると、まだ全然はけそうだった。少し腑に落ちなかったけど、もちろん僕はOKを出した。ムカは新しい靴をさっそく買うと、それまで履いていた靴を捨てた。そして純朴な笑顔で喜んだ。

 ムカはバナーラシ・ヒンドゥー大学の構内にある学生寮に住んでいた。数日後、ムカが寮食を一緒に食べようと言うので、僕は寮に向かった。昼食を食べ終わるとムカが言った。「コックにお礼のお金をいくらか出すべきだ。本当は無料だけど、感謝の気持ちが大事だ」。何で俺だけという思いもあったが、ムカの言う事は間違っていない。僕は、コックにいくらかお金を渡した。

 その後、構内をムカは案内してくれた。「ここで、夕暮れにファーストキスをしたんだ。人目を忍んで。思い出すなー」。構内にあるヒンドゥー寺院を案内しながら、彼はそんな甘酸っぱい思い出を語ってくれた。

 売店でムカの友達が数人、チャイを飲んでいた。それを見たムカは近づいて行くと、僕を彼らに紹介し始めた。「彼は日本から来た仁。この靴を見てくれよ。彼が僕にプレゼントしてくれたんだ」。プレゼント?

 そして彼は僕に言った。「仁、俺もチャイが飲みたいな」。んん?

駄目だ。僕はムカに言った。「アイ ラック ペイションズ ウィズ ユー」。

【バックナンバー】
Take7  ガンジス川のほとりにて2(2012.1.4)
Take6 ガンジス川のほとりにて1(2011.12.24)
Take5 Train,train,train (2011.11.23)
Take4 Smells like India 3 (2011.11.19)
Take3 Smells like India 2 (2011.10.15)
Take2 Smells like India  (2011.10.1)
Take1 こんにちは、青春 (2011.9.28)

【寄稿者紹介】入土 仁(インド・ジン)。2008年春、大学院で社会哲学の修士号を取得後、一職人として建築現場で働いていたが、その年の秋に突如インドIN。現在、宇宙飛行士を目指す入土仁が、過酷な訓練の最中に回想した、青春インド放浪記。実話。



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