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 ミクロ・サバイバルとマクロ・サバイバル

   最近よく、「ミクロ・サバイバル」と「マクロ・サバイバル」ということを考えて、実践しています。(僕の造語です)

 唐突に、教養をひけらかせば、経済学には、「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」があります。

 経済学の話は本筋ではなくて、肝心なのは、個人を扱うのがミクロの方で、社会全体を扱うのがマクロの方だということです。さらには、そういう区別をするという発想です。

 僕の言う「ミクロ・サバイバル」とは、「私個人」に降りかかる災難から生き残ることです。表現を変えれば、努力や能力次第で立ち向かえる状況です。

 例えば、暴漢がナイフを持って襲い掛かってくるようなケースが典型例です。もちろん、仕事の締め切りに追われているとか、子育てが忙しいとか、各人の生活によってさまざまな切実な問題もそうです。

 ただ、共通点として、「個人の努力次第でなんとなる」ということがあります。

 これに対して、僕の言う「マクロ・サバイバル」は、「私を含めた一定の集団に降りかかる災難」から生き残る方法です。

 例えば、国家権力や金融機関、教育の荒廃、税金や法律、経済状況や少子化、自然災害といった災難(?)から、身を守る状況です。

 こちらは、「個人の努力次第ではどうしようもない」という共通点があります。

 わかりやすい具体例を挙げれば、社内での出世競争は、「ミクロ・サバイバル」ですが、倒産しない会社に勤めるのは、「マクロ・サバイバル」です。

 言うまでもなく、どちらも大切で、欠かせないものです。

 インテリというのは、「マクロ・サバイバル」には強いが、「ミクロ・サバイバル」には弱い。だから、個人としてちっとも努力をしないくせに、何でも世の中のせいにしたりします。

 対して、職人気質の人は、「ミクロ・サバイバル」には強いが、「マクロ・サバイバル」には、弱い。

 伝統工芸の職人など、いくら個人として努力して研鑽を積んでも、社会状況が彼に裕福になることを許さなかったりします。

 両者は車の両輪で、どちらか一方だけでは、不完全です。

 例えば、日雇い労働をするとします。

 ミクロ・サバイバルの視点からは、現場で、いかに楽して、怪我をせずに、その日の労働を終えるかが問題です。そのための、具体的な対処法を考え抜くべきなのです。

 一方、マクロ・サバイバルの視点からすれば、現代日本で、日雇い労働などをするのは、とんでもない失策です。条件が悪く、怪我をしても、何の保証もないですし。

 だからこの場合、僕からすればベストの選択肢は、ミクロ・サバイバルで、なるべく安全かつ効率的にお金を稼いで貯め、マクロ・サバイバルで、なるべく早く他のいい条件のバイトを見つけ、日雇い労働と縁を切る、となります。

 このように、みなさんにも、ミクロ・サバイバルとマクロ・サバイバルと両方の視点を持つことを、強く勧めます。    

  山田宏哉記

追記。 もちろん、僕も、日々の生活に追われると、ミクロ・サバイバル一辺倒になるわけですが。

2006.11.16

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