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  「若者らしい若者」の限界

   最近、気づいたことがひとつあります。

 僕は、「若者らしい若者」があまり好きではないのです。  だから、僕自身は、意図的に勇ましいことを言わないようにしています。

 「若者らしい若者」と聞いて、まず僕が連想するのが、「俺って、ノリノリのゲージュツ家だからさぁ。メジャーデビューも考えてる、みたいな。」などと酒に酔っ払って騒いでいる連中でしょう。

 あるいは、些細なことで「俺を誰だと思っているんだ」などと言って、殴りかかってきます。粗暴で蛮勇。そのくせ、身体的にも精神的にも弱い。

 あぁ、全く、こういう若者らしい人たちの前からは、一刻も早く離れたいよ。  喧騒を離れて、寡黙に研鑚を積む若い修行者を友としたい、とよく思います。(かといって、常に思っているわけでもありません。ジョークが通じないと困りますしね。)

 有名人では、例えば、尾崎豊。彼は、「大人」に反抗して絶叫してカリスマ的人気を誇っていましたが、結局、若者らしく覚醒剤をやって、早死にしてしまいました。

 その点、例えば、村上春樹などは、さすがだと思います。彼は、現代日本の本物の正統的な作家です。小賢しい文学論をぶったり、芸術家を気取るようなところが、全くありません。ひたすら、作品と読者に対して忠実です。

 ちなみに、『ノルウェイの森』の「僕」も、早大生でもあるのですが、ちっとも若者(早大生)らしくありません。もし、「僕」が、若者らしく、気合と根性の体育会系のノリだったら、この小説は台無しになります。

 というわけで、「若者らしい若者」は、底が知れているのです。何よりギャップや意外性がないというのでは、魅力に欠けます。

 例えば、20代の身体能力と40代の経験と見識を兼ね備えている人は、決して「若者らしく」は、見えません。むしろ、「年齢不詳」に見えます。

 果たして、そんな人がいるのか、という疑問があるかもしれませんが。  はい、ここにいます。    

山田宏哉記

追記。 すまん、結果的に自己正当化に終始してしまった。

2006.12.11

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