(1081)

  掃除は、男子一生の仕事にあらず

     掃除屋のベテランで、主要メンバーのひとりが、仕事を辞める意向のようです。

 理由は、「もう、掃除は嫌だ」なのだそうです。  これは掃除屋に対する侮辱的発言を繰り返す僕にとって、非常によくわかる話です。

 よく「掃除は、大切」と言われます。  確かに、その通りです。  しかし、これは職業としての掃除屋が魅力的かどうかということと、全く関係ありません。

 職業としての掃除屋は、所詮は、他人の後始末です。  汚れていなかったら、それ以上、何もすることがありません。

   つまり、掃除屋は、何かプラスの価値のあるものを生み出すのではなく、マイナスの状態をせいぜいよくてゼロに戻すことしかできないのです。あるのは、生きがいややりがいではなく、「契約上の義務」だけです。

 例えば、一生懸命、床を綺麗に磨き上げたとしても、お客が来れば、すぐに汚くなります。

 画家を絵をお客が踏みつけるとしたら、とんでもない暴挙です。  また、絵画は作品として、残っていきます。  その人の業績となります。

 反面、掃除屋が磨き上げた床を踏みつけるのは、全く問題ありません。  自分の仕事の成果は、すぐに蹂躙されて、跡形もなくなります。

 そのせいか、掃除屋は、やたらと、感謝(=同情)されます。  しかし、芸術家のように、仕事内容に敬意を持たれることは決してはありません。

 掃除屋の作業は、この程度の価値なのです。 他社に行っても通用する業績など、どこにもありません。   

 また、掃除屋と百貨店店員との関係は、「身体障害者」と「健常者」の関係に似ています。掃除屋は、店員に対して、常にある種の「後ろめたさ」を持たなければならないのです。   

 本音を言えば、普通の若者が、掃除にプライドと情熱を持ち続けるのは、不可能に近いことだと思います。  

山田宏哉記

追記。 僕が掃除屋から手を引いたら、さすがにこんなことを書くのは許されないので、今のうちに書いておきます。

2006.12.11

記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ