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  職業に貴賎あり。そして掃除屋は…

     「職業に貴賎はある」というのが、僕の持論です。

 例えば、レストランであれば、シェフやソムリエが華やかで重要なランクにあり、単なる皿洗いでは、最低ランクになります。

 従って、レストラン業界においては、シェフやソムリエは「貴」の側にあり、皿洗いや鍋洗いでは、「賎」の側になります。

 ただの皿洗いの分際で、シェフに対して意見するのは許されません。そこには、確固とした身分の差があります。皿洗いにとって大切なことは、己の分をわきまえることです。

 このような封建的なことは、誰も言いませんが、公然の暗黙知です。

(もっとも、実際にはレストランの床を掃き拭きする掃除屋も必要ですが、そういった人材は、そもそも戦力外です。)

 もっとも、今はただの皿洗いであっても、一生懸命、努力して結果を出せば、徐々に料理作りに関われるようになります。だから、このような身分制度は、流動的で固定的ではありません。

 日本の教育では、「職業に貴賎はない」という建前になっています。  しかし、そんなことを本気で信じている人は、よほどの世間知らずです。

 試しに、学校教師に、ヤクザや土方や掃除屋等の「賎しい」職業につきたいと言って御覧なさい。反面、「教師」「ジャーナリスト」「警官」などと「高貴な」職業に尽きたいと言えば、先生は満面の笑みを浮かべるはずです。

   そうでなくとも、一度でも、日雇い労働者として不法滞在の外国人たちと一緒に働けば、職業には貴賎があることが、身体でわかります。

 だいたい、マンホールから下水道に入って、糞尿まみれになりながらヘドロをシャベルでとったり、四つん這いになって、酔っ払いの嘔吐物を処理する仕事が、高貴なわけがありません。彼らは、自分の家族にだって、恥ずかしくて作業内容を言えなかったりするんですよ。

 僕だって、そんな仕事は嫌です。

 まぁ、こういう誰もが嫌がる賎しい仕事は、底辺にいる外国人労働者に押し付けたりするんだけどね。借金をして日本に出稼ぎに来ている連中は、たかが何十万円かのために人間だって殺します。

 ともあれ、本当にリアルな労働の現場というのは、「自己実現」「自分探し」「好きを仕事にする」といった綺麗なフレーズとは、対極にあるのです。

 ただ、注意してほしいのは、職業には貴賎がありますが、それは人格的な評価とは全くの別物だということです。

 例えば、掃除屋が、残飯をあさるハイエナのような仕事だとしても、それは何も清掃に従事する人たちが、不潔で人間として卑しいということではありません。

 たとえ掃除屋が、軽蔑すべき賎しい職業でも、その中にも人として立派な人は、いくらでもいるのです。    

山田宏哉記

追記。 うわっ、さすがに掃除屋を悪く言い過ぎたか。いやでも、今しか言えないことだから、自主規制はしません。

2006.12.16

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