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  選択肢を削らない

     「なぜ、高校や大学に進学しなければならないのか。」と問われれば、今の僕なら、「選択肢を削らないため」と答えます。

 現実問題として、今の日本で最終学歴が中学卒業であれば、将来の選択肢は、非常に狭まります。底辺のブルーカラー労働が待っています。

 日雇いの仕事をするにしても、「それしか選択肢がなかった」という人と、「東大卒で、あえて日雇い労働をやっている」という人では、意味合いが全く違います。

 前者には、屈従と絶望あるのみ、です。

 後者は、自分の意志で、あえて選んだことです。そこには、人間の尊厳や矜持があります。

 そのためにも、安易に将来の選択肢を削らないことは、非常に大切です。  例えば、「俺は、ボクシングで生きる」と決めても、せめて高校くらいは卒業することです。

 第一、真面目に勉強することは、非常に意味のあることなのです。  勉強のありがたみは、後からわかるものです。  勉強する前から、「勉強すれば、こんないいことがあります」と言うことはできないのです。

 僕たちは、言葉を覚えたり、直立二足歩行ができることのメリットを両親に教わったわけではありません。しかし、僕らは、言葉を覚え、直立二足歩行をマスターしたのを、決して無駄な努力だったとは思わないでしょう。

 もし、赤ちゃんが「僕は、一生、ハイハイで生きる。直立二足歩行なんか、役に立たない。僕には必要ない。」と理屈をこねたら、どうですか。愚かだと思うでしょう。

 とはいえ、直立二足歩行のメリットをあれこれすべて列挙することも不可能です。それと同じことが、勉強や進学に関しても言えるのです。  

 ミルトン・フリードマンの古典的名著に『選択の自由』というタイトルのものがあります。

 何かを選択する自由があるというのは、ものすごくありがたいことなのです。  しかし、多くの人は、その値打ちに気づかず、安易に「選択の自由」を放棄するのです。    

山田宏哉記

P.S. ちなみに、慶應が人気なのは、「フリーターやニートになる心配がない」という安心感を抱かせてくれるからのようです。

2006.12.17
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