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  掃除屋で立派な能書き

   今日、最近入ったエスカレーター要員の方に、立派な能書きを垂れてきました。  彼は、大学に通いながら真面目に清掃をする立派な青年です。

 このような青年に、(たとえ慰めであっても)掃除屋であることの誇りを持ってもらいたいと思うことは、人として当然でしょう。

 そこで、僕は偉そうに能書きを垂れました。

 「エスカレーター清掃には、絶対やらなくちゃいけない部分と、できればやった方がいい部分があるでしょう。できればやった方がいい部分は、たくさんあるから、毎日、全部やろうとするのは大変だよね。」

 「そこで、"できればやった方がいい部分"は、自分で考えて、ローテーションを組むわけですよ。2日おきにやるとか、3日おきにやるとかね。その方が、結果的に全体のパフォーマンスがよくなる。」

 例えば、全作業の70%くらいを、マニュアル通りに忠実にこなし、残りの30%を、「やった方がいい仕事」として、自力で作業計画を立てるのです。

 そんなことを喋りながら、これって、他の物事にも十分に通用する方法だと気づきました。

 たとえ、掃除屋のような単純労働でも、昨日と寸分違わぬ作業をするのは、いい仕事とは言えません。マニュアルを土台としながらも、状況に応じて、もっともよい結果を出せるように、清掃手順をプロデュースするのが、「それなり」の掃除屋です。

 (さすが、掃除のプロは、言うことが違うでしょう。)

 実際、毎日、何の工夫もなく、愚直に寸分違わぬ作業をしている人もいますが、そういう人は、30歳を過ぎてもワーキング・プアの掃除屋です。

 もちろん、本人が「生活は苦しかろうと、俺は掃除をするために生まれたんだ」と心の底から思っていれば、これはハッピーエンドなのですが。

   一見、つまらない仕事だからこそ、自力で考えて創造的な作業にすることが大切なのです。そうすれば、案外、(掃除屋を抜け出す)チャンスはやってきます。    

山田宏哉記

追記。 そして、僕ももう少しは、掃除屋であることに、プライドを持つべきかも知れない。『俺は、掃除屋』という短編小説でも書こうかな。

2006.12.20

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