ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (1100)

  極限状況で立ちまわれ

   人生には、受験、就職活動、男女間の闘争(?)など、まさに一瞬にして決定的な状況があります。

 1年間、真面目に受験勉強をしてきても、試験本番のせいぜい90分でしくじったら、お終いです。

 あるいは、大学4年間、特定の企業にするべく努力を積み重ねても、その面接試験で頭が真っ白になったら、大学4年間が水の泡です。

 …まぁ、男女の機微を例に出すのは、やめましょう。

 ともかく、こういった極限状況で、うまく立ちまわれる人と立ちまわれない人が存在します。

 一流大学から一流企業といったように、敷かれたレールを外すことなく歩むのも、一種の立派な能力です。

 しかし、掃除屋や貧乏学生は、嫉妬深い人種ですから、「一流大学から一流企業へ行くような人間は、自分を誤魔化し、夢や希望を捨て、現実と妥協し、つまらない生き方をしている。偏差値教育の犠牲者だ。」などと抜かします。

 そのくせ本音では、「俺も一流企業に行きたかった。俺は単に運が悪かっただけだ。」などと思っています。

 実のところ、極限状況で立ちまわる人には、集中力があるのです。  オリンピックの100メートル走など、わずか10秒のドラマです。

 本番で、たった10秒走るためだけに、4年という歳月を注ぎこむのです。  まさに、極限の集中力です。

 「勝つためには、未来を捨てても構わない」と、ステロイドを投与するのも、ある意味、無理からぬところです。

 つまり、人間社会では、集中力は、極めて大きな価値を持っています。  人間が持つべき、最も基礎的な能力のひとつです。

 ところが、掃除屋や貧乏学生は、集中力を「ないよりはあった方がいい」くらいにしか考えていません。甘ったれるにも程があります。

 だから、負けるのです。  極限状況で立ちまわる集中力を抜きにしては、どのような分野でも成功を収めることはできないのです。

山田宏哉記

追記。 よく考えたら、あえて掃除屋や貧乏学生をバカにする必然性はないエッセイでした。

2006.12.25

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