ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (1102)

  仮定の裏人生 中央大学編(2)

 先回、「仮に僕が中央大学に進学していたら」ということで、話をしました。

 ただし、「意識や見識は現在の僕とする」という条件付でした。  当然、現在の僕の意識なり見識は、タダで手に入れたものではありません。

 大学入学以来、1日1冊以上のペースで本を読んでいますし、書いたものも膨大な量に上ります。ですので、公平に、僕が18歳当時の見識で中央大学に入学していたら、どうなっていたかも想定してみましょう。

 まず、大学入学と同時に、不本意入学による学歴コンプレックスを抱くことになるでしょう。「もはや、学歴だけでは通用しない」と言っても、真面目に受験勉強をしてきたわけですからね。

(ちなみに、ここでひとつ脇道の注釈ですが、処世術としては、「学歴社会の是非」などの議論に入れ込むのは圧倒的に損です。もっと駄目なのは、「自分の通っている○○大学を一流にしよう」などと意気込むことです。

 だいたい、組織的・集団的な利害問題に巻き込まれると、個人の時間やエネルギーがどんどん侵害されます。自分の通っている大学は、永遠に三流私大だとさっさとあきらめて、他のことにエネルギーをつぎ込むのが得策です。)

 さらに、おそらく、18歳の僕の意識では、一人暮らしには踏み切れないでしょう。  アルバイトも、日雇いの仕事以外は、できないでしょう。  何より、自分が何をやりたいかもわからないでしょう。

 そこで僕は、「自分探し」をします。授業にも最低限しか出席せず、図書館にこもって本を読むでしょう。

 行動しなくてはいけないと思いつつも、行動に踏み切れない。  中島義道の本などに肩入れしたせいで、他人ともうまくコミュニケーションがとれない。

 そんな焦りともどかしさを抱えた大学生活になると思います。  この点は、大学に関係なく、実際に僕が辿ってきたものと同じようになるでしょう。

 何しろ、僕は僕にしかなれなかったわけですからね。

山田宏哉記

追記。 そして、道が開けたと感じるのは、残念ながら、大学卒業後になるでしょう。なにせ、僕本体が、軌道に乗り始めたのは、今年の6月ですからね。

2006.12.27

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