ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (1107)

 人生の短さが悔やまれる

 先日、忘年会で「人生の短さが悔やまれる」という趣旨の話をしました。  書く価値があることなので、敷衍して書き留めておきましょう。

 これまで、地球上で生まれて、死んでいった人は、一体、何人いるのでしょう。  世界には60億の人口と言いますが、それこそ、過去に生きた人の数も合計すれば、膨大な数になります。

 だからこそ、僕たちは、この文明の利器に満ちた生活を享受できているのです。  エジプトでピラミッドを建設した労働者や、ギリシアで弁舌を振るったソフィストたちは、僕たちと無関係に見えます。

 しかし、彼らがいたからこそ、文化や財産が蓄積されて、現代の暮らしがあるのです。それ以上に、無数の名もない人たちが、それぞれの生活範囲で懸命に築いたものがあるからこそ、僕たちは、野山を走りまわって狩りをする必要がないのです。

 その遺産の中に、芸術などの文化遺産があります。

 もし、絶対に聴いた方がいい音楽をすべて聴くとしたら、1日24時間聴き続けたとしても、それだけで人生が終わってしまいます。

 もし、絶対に観た方がいい映画を、すべて観ようと思ったら、1日24時間を映画鑑賞に注ぎ込んだとしても、何十年もかかるでしょう。

 書物に至っては、身体に気を使って120歳まで生きたとしても、東西古今の絶対に読んでおきたい書物を、すべて読破するのは、全く不可能です。

 人類の文化遺産というのは、それほど偉大な存在なのです。  それに比べて、個々人の人生は、何と短く儚いものなのでしょう。

 僕たちは、このような文化遺産を味わい尽くすよりも、ずっとずっと手前で、朽ち果ててしまうのです。だからこそ、このような強烈な絶望感を抜きにして、芸術家を気取ってほしくはないよね。

山田宏哉記

追記。 「本物に触れる」ということは、僕にとって、今後(あえて「来年」とは言わない)の大きな課題です。

2006.12.30

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