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  今こそ、爛ーディオ系畧觚

 文字による情報認識よりも、シリコン・オーディオによる音源の高速再生の方が、高密度・大容量の情報入力が可能になります。

 読書家にして、出版業界で働く僕がこれを言うのは非常に厳しいことなのだけど、これが現実です。

 一見、速聴よりも、速読の方が大量の情報入力が可能に思います。  確かに、1ページ1秒でザッと眼を通すようなスタイルは、シリコン・オーディオでは不可能です。

 決定的に差がつくのは、記憶の保持に関してです。「読んだことは忘れる。でも、聴いたことは忘れない」のです。

 速読というのは、大量のカルシウムのサプリメントを摂取するようなものです。摂取量そのものは多いけれども、身体に吸収されずに出ていってしまいます。

 聴覚を通した情報入力は、一定時間あたりの摂取量はさほど多くないけれども、吸収効率が非常にいいわけです。声質とセットで、意味内容を記憶できるからです。

 「世界」と「私」の間に挟むものは、なるべく薄い方がいいわけです。  「私」が「世界」と対峙したとき、文字・テキストを通して世界を認識しようというのは、速聴と比べると、どうにも分厚いメガネを使うようなものです。

 ゴム・メーカー(?)だって、「こんなに薄くて丈夫で感度のいい製品を作りました!」と盛んに宣伝しているでしょう。僕には何のことだかわかりませんが。

 かけられる時間にも差があります。  1日8時間読書をしていたら、ほとんど生活不適応者です。  ところが、1日12時間、高速再生のシリコン・オーディオを聴いていても、普通に生活できます。

 もちろん僕は、読書というシンプルかつ有意な情報入力手段を批判や否定する気はありません。読書は素晴らしい。ただ、爛ーディオ系瓩両霾麈Ъ閏蠱覆、すごすぎるだけです。

 最近は、勉強中毒の大学院生と話していても、僕の博識・博覧強記ぶりが際立ってきています。「自分で言うな」という話ですが、「どうしてそんなことを知っているの!?」と驚かれてばかりなので仕方ありません。

山田宏哉記

P.S. そういえば一昔前、爛咼献絅▲觀廊瓩箸いΨ敘な言葉が流行り、当然のように歴史の闇へと消えていきましたね。

2007.10.25
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