(1533)

  口述 キーパンソンに認められろ

 (昨日に引き続き、時間の都合上、詳細は口で喋っています。)

 「エディターという存在」という話をしました。

 表現者が、その道で飯を食べていくために、「キーパンソンに認められる」ということは、未だに有効です。

 例えば、ライターであれば、「読者が多いか少ないか」よりも、「(優秀な)編集者に認められているか、否か」の方が決定的に重要です。

 ウェブに押されて、新聞や雑誌のような既存のメディアが息絶え絶えなのは、誰しも認めるところです。

 ところが、「自分のウェブサイトに文章を書いています」というのと、「『朝日新聞』と『文藝春秋』に連載を持っています」というのでは、対社会的な信頼性に雲泥の差がつきます。

 実際問題として、ご老体向けの『文藝春秋』のコラムが、果たしてウェブよりも社会的な影響力を持っているのかというと、なかなか微妙です。

 しかし、権威や信憑性のことを考えれば、『朝日新聞』や『文藝春秋』から連載依頼があれば、迷わず引き受けるべきです。

 僕を含めて日本人(人間)は、権威が大好きです。芥川賞をとれば、作品の内容に関係なく「大作家」扱いだし、ノーベル賞を獲得した日には、どんなボンクラの″知恵をくれ瓩任癲◆崟こΔ琉凌諭廚任后

 このような現状を嘆いて批判したところで、あまり生産的ではありません。  どうせなら、このようなヒトの習性を利用するべきです。

 直接的に読者やリスナーに認められ、支持されることは、もちろん最優先にすべきことではあります。

 しかし、対社会戦略としては、「キーパーソン(作家志望なら編集者・審査員、ミュージシャン志望ならプロデューサー、画家志望なら画商やパトロンなど)に認められる」ことで、「飯を食える、食えない」問題を優位に展開できるのです。

山田宏哉記

P.S. 数をこなしているせいか、以前と比べると、口述(音声配信)の実力が上がってきました。

2007.11.7
 手紙一覧へ戻る 文筆劇場・トップ