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  研究夜話 E・ホッファーとの対話(8)

 E・ホッファーの箴言を検討していきましょう。

 自分の母国や人種に対するプライド、正義や自由、そして人類などへの献身〔dedication〕を、人生の主要成分〔the main content of our lives〕にしてはならない。せいぜい伴奏か、付属品にとどめるべきである。(「情熱的な精神状態」145)

 人間が社会生活を営む上で、「公私のバランス」をとることは極めて切実な問題です。私的な領域と公的な領域では、要求される言動が、必然的に変わってきます。

 公共の場でマナーを守らない若者たちというものは、眼に見える存在なので、問題意識が向きやすいわけです。

 ところが、国家、人類、正義などの「公=神聖な大義」に対して熱狂的な献身をする人々(=トゥルー・ビリーヴァー)というのは、なかなか問題になりにくい。

 公共の場に私生活を持ちこむ人々より、そもそも私生活が存在しない人々の方が、より危険な存在であることは明らかである。だからこそ、ホッファーは「自己愛」や「私利私欲」に対して寛容です。

 トゥルー・ビリーヴァーは、「公私」のバランスからいえば、極端に「公(=神聖な大儀)」の方に意識の重心が触れています。

 ホッファーは、祖国や人類、理念に対する全面的な献身を否定的に捉えている。「神聖な大義」のために殉教する(特定の教義のために生命を捨てる)というトゥルー・ビリーヴァーの覚悟の根本には、「自己からの逃避」があります。

 では、人間が「人生の主要成分」として定めるべきものは何か。もとより、「山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない」(「情熱的な精神状態」12)というのは、僕が全面的に同意するホッファーの基本認識です。

 だからこそ僕も「有意義な人生とは学習する人生のことです。人間は、自分が誇りに思えるような技術の習得に身を捧げるべきです。技能療法の方が宗教的な癒しや精神医学よりも大事だと思います」というホッファーの考えを、全面的に支持します。

  山田宏哉記

P.S. 危機的状況にある修士論文のネタを加筆修正して転用しました。 

2007.11.20
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