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口述 気恥ずかしさの美学
「気恥ずかしさの美学」という話をしました。
正直なところ、「人間力」とか「コミュニケーション能力」とか大真面目に言われると、思わず吹き出してしまいそうになります。
僕だけかと思っていたら、この点に関して、全く同じ感覚の持ち主に出会ったので、公言することにします。
僕たちが問題にしたいのは、「気恥ずかしさの欠如」です。
元来、「人間力」とか「生きる力」といった言葉を、口にするのはとても気恥ずかしいことです。こういう言葉を使うのは、ためらわれます。
ある種の言葉を使うことに関して、「気恥ずかしい」という感覚を覚えることは、とても大切なことです。「自分探し」とか「オンリー・ワン」、「真実の愛」などと聞くと、不謹慎にも吹き出してしまう人は多いでしょう。
手垢がついた言葉を発することによって、何か大切な質感が、矮小化されてしまう。陳腐な決まり文句になってしまう。僕たちは、このことこそを恐れるべきです。
もちろん、人として生きている以上、他者と関わりあって生きていく技術は、必要不可欠です。あるいは、自分の感情や感覚を冷静に分析する視点も大切です。
ただ、それを「コミュニケーション能力」「人間力」「自分探し」などと呼ぶと、なぜか陳腐なお題目になってしまう。ありきたりの能書きを垂れるだけなら誰でもできます。そんな低レベルなことを偉そうに言うから、滑稽なのです。
自分ならではの感覚を、自分で紡ぎだした言葉で語る。
その美学がないところでは、どんな正論も、揶揄と嘲笑のタネでしかありません。
山田宏哉記
P.S. ちなみに、「気恥ずかしさ」を利用したジョークを使いこなせる人は、相当にレベルが高い人でしょう。
2007.11.21
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