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  モノカキの人間的劣等性

 「文章を書く人」というのは、大抵、人格的な問題を抱えています。それ以上に、表現者として、能力的にも技術的にも問題があります。

 順を追って説明しましょう。まず、「日本語で文章を書く」ということは、参入障壁が非常に低いわけです。あるいは、低そうに見えるわけです。

 もっとも、明瞭で簡潔な言葉を語るためには、それなりの修練が必要です。

 しかし、今や、アンポンタンの女子高生でも口語(というより喋り言葉そのまま)で"あぅあぅあぅ瓩半説を書く時代です。文筆家に漢詩の素養が求められたのは、今や遠い昔です。

 「文章を書く」ということのハードルは、それくらい低いのです。

 また、「文章を書く」という能力は、大抵、他の価値ある技術との互換性を持ちません。

 作曲家やデザイナーや漫画家は、普通、一定の質の文章を書くことはできますが、文筆家は普通、作曲もデザインも漫画作成もできません。

 アスリートやダンサーが文章を書くことはできても、モノカキは大抵、救いがたい運動オンチです。

 企業経営者も割といい文章を書きますが、ライターに企業経営は無理です。編集者が作家に転身することはできますが、その逆は不可能です。まさに狠侶辰鬚れ!

 つまり、専門的に文筆を志すというのは、まさに(僕のような)役立たずのボンクラがすることなのです。

 ですので、ウェブ時代の文筆系の表現者は、「文章爐鬮畚颪」ことから、「文章爐皚畚颪」ことへと重心を移していくべきだと思います。これは、小手先の処世術ではなく、人生をよりよく生きためです。

 逆に言うと、音楽や画家などの非言語的表現者は、参入障壁の低い表現形態である文筆を視野に入れた方が、表現により厚みが増すと思います。

  山田宏哉記

P.S. あるいは、参入障壁の高い表現形態(フィギュア・スケートとかチェロの演奏とか)を選択するというのは、それだけで戦略勝ちの面があります。もっとも、才能がなければ、それはそれで悲惨ですが。

2007.11.28
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