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  殺人も"やったもの勝ち

 マスコミ報道を聴いていると、気軽に人を殺すことができる時代になったと感じます。

 香川県坂出市の事件では、「祖母だけ殺害するつもりだったが、子どももいて騒がれたので、刃物で刺した」そうです。

 北海道函館市の刺殺事件では、無職のストーカー男・中原哲也容疑者が、被害者女性に全く相手にされないことに逆恨みして、殺しちゃったわけでしょう。

 救いがないのは、「あと一回、つきまとわれたら警察に相談する」という被害者女性の姿勢です。ところが、その「あと一回」目で殺されてしまいました。

 こういう犯人どもは、単なる死刑では甘すぎるので、両手・両足を切り落として、両眼を中心に顔面を焼いて、むしろ社会に放り出すべきです。

 もとより世の中というのは、自分の思い通りには回らないものです。  そういう自分にとって不都合な環境と折り合いをつけるためにこそ、僕たちは精力を傾けるべきです。

 男女の機微でも、無下に断ったら殺されるのでは、たまったものではないでしょう。警察も被害者が殺されてからではないと真面目に動かないので、頼ることはできません。

(僕は今、ストーカー撃退ビジネスを始めようかと真面目に考えています。傷害罪にならないように相手を痛めつける技術に関しては、自信があります。)

 さて、人間社会が始まって以来、殺人というのは、爐笋辰燭發両,銑瓩寮こΔ任△蝓↓爐笋蕕貘鮫瓩寮こΔ任后殺人事件の加害者には、まだ社会復帰の道が残されていますが、被害者は殺された時点で終わりです。

 文筆劇場の読者限定で、暴論中の暴論を吐きますが、相手に非があり、命の危機を感じたら、最悪、相手を殺した方がいいと思います。「死人に口なし」で、正当防衛を主張すればいいわけですから。

 懲役を背負おうと、突如としてこの世から消えるより、随分とマシな話です。

 北海道函館市の事件でも、被害者女性が無職のストーカー野郎を殺していた方が遥かに救いがあったわけです。

 「殺される前に殺せ」というのは、究極の処世術です。特に、今の時代のように、軽はずみな動機で人を殺す風潮が強い時代においては、そうです。

 特に、女性が男性を殺す場合は、相手を殺す基準が、多少甘くても構わないでしょう。その旨、法律に明記しても構わないと思います。

 なぜ、人間社会の倫理道徳として「人を殺してはいけない」と言われるのか。それは殺人というのがまさに爐笋辰燭發両,銑甅爐笋蕕貘鮫瓩箸いΦ澆い里覆す坩戮世らでしょう。

 いくら加害者が涙を流して「慙愧に耐えません」とか言ったところで、被害者が「殺してくれてありがとう!」と言うことはありえないわけです。

  山田宏哉記

P.S. あるいは、参入障壁の高い表現形態(フィギュア・スケートとかチェロの演奏とか)を選択するというのは、それだけで戦略勝ちの面があります。もっとも、才能がなければ、それはそれで悲惨ですが。

2007.11.28
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