(1556)

  殺される側の不条理

 あなたが道を歩いている最中、いきなり暴漢に襲われて生命を落としたとします。暴漢はツタヤのDVDレンタルで延滞料金を取られていて、その腹いせにあなたを刺殺したのでした。  

 しかし、暴漢は主張するでしょう。「相手が因縁をつけてきて、恐喝するために武器を取り出そうとしたので、仕方なく刃物で"撃退瓩靴泙靴拭まさか相手が死ぬとは思いませんでした! 殺意はありませんでした。これは正当防衛です!」。

 「そんなバカな!」と思うでしょう。しかし、あなたが死んでいる以上、目撃者と物的証拠が不十分なら、この暴漢の言い分が通るわけです。

 「人に殺されてはいけない」ということは、「人を殺してはいけない」という倫理以上に大切なことです。

 その辺にいる変質者やストーカー野郎、麻薬中毒者、ヤクザ者に殺されることほど、全く救いのないことはありません。  

 生死が関わる状況においては、警察は全く頼りになりません。  

 何かあれば、警察がやって来る前にあなたは死んでいます。もっとも、警察の主たる仕事や関心は、あなたの死体を解剖して死因を特定することにあるので、これでいいわけです。

 弁護士も、死人を弁護するような無益なことはしません。死体に人権はありません。鞭の打ち放題です。逆に、殺人犯の暴漢は正々堂々と「これは人権侵害だ!」と主張することができます。

 これでは、「殺される方が悪い」と言わんばかりでしょう。実は、全くその通りなのです。こんなことになったのは、暴漢に殺されたあなたの責任なのです。

 生命のやり取りの決定的状況の中、あなたは暴漢を殺すべきだった。もしそうしていれば、あなたは、その後の人生を歩み続けることができた。  

 ところが、護身技術の欠如により、あなたは自分の生命を落とすことになった。人間社会の基準では悪いのはもちろん殺人犯ですが、自然界の掟としては悪いのはあなたです。

 ちなみに、おそらく殺人犯の罪悪感など、たいしたものではありません。むしろ、本音の部分では「あぁ、スッキリした」くらいに思っているのではないでしょうか。

 その証拠に、(死刑を免れるために)「慙愧に耐えません。自分にできることは何でもします」と涙する殺人犯も「誠意として両手を切り落とせ」とか「ガスバーナーで両目を焼け」と言われたら、自分可愛さにゴネ始めるわけです。

 「勝てば官軍」とはよくいったものですね!

  山田宏哉記

P.S. まさに、不条理そのものです。

2007.11.29
 手紙一覧へ戻る 文筆劇場・トップ