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  ジョーク感覚を磨くには…

   笑いのセンスというのは、なかなか意識的に鍛えることが難しい。とはいえ、日常生活の中で人間関係の潤滑油として、とても役に立つ技術であることは確かです。

 偏見そのものですが、思うにジョーク感覚として大切なことは、案外、「ウケを狙わない」「相手を笑わせようと思わない」ということです。

 人間というのは面白いもので、一方が「笑わせよう」と思うと、もう一方は「笑うまい!」と決意するような側面があります(反面、「笑われたら嫌だなぁ」と思っていることに限って、笑われるような側面があります)。

 ですから、お笑い芸人や落語家という職業は大変で、観客は話を聴く前から「ちょっとやそっとのことじゃ笑わないぞ!」と身構えているような節があります。

 その点、僕たちは、別に話し相手を笑わせることを期待されていません。この点を大いに活用した方がいいと思います。

 具体的に言うと、ジョークやらギャグを有効に使うためにも、原則としてマジメで相手にとって役に立つ話をすると決めてしまうといい気がします。

 つまり、小ネタの冗談がつまらなくても、話そのものがインタレスティング(興味深い)なものであればいいと割り切ってしまうのが得策ではないでしょうか。

 というより、話そのものをインタレスティングなものにすることに全力投球した方が、シコシコと小ネタを考えるよりも、遥かに費用対効果が高いように思います。

 そもそも、人間は笑うと、犬歯が剥き出しになります。これは、相手のノドに噛み付く準備に他ならないわけで、大変、残酷な表情です。

 生前、悪評プンプンの人の葬式でも、参列者が慟哭しているように見えたら、案外、必死で笑いをこらえているだけだったりします(今、話題のジョークですよ!)。

 さらに僕の観察だと、「笑わせよう」という作為的な意識は、大抵、相手に見抜かれます。

 反面、「笑いたければ、笑えばいいよ」という自然体でいれば、話の文脈ならではのジョークも折り混ぜることができるように思います。

 独断による結論。逆説的ですが、「笑わせよう」という意識を捨てることこそ、冗談の感覚を磨く第一歩に違いありません。

  山田宏哉記

P.S. もっとも現実問題として、冗談のセンスが悪くても、話そのものが興味ぶかければ、ほとんど支障ないでしょう。

2007.12.5
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