(1573)

  「社会のゴミ」として生きる

   「世の中が腐っている」というのは、大抵、弱者・敗者の言い訳にすぎません。確かに、今後の日本社会に希望が持てるかというと、あまり「イエス」とは言えない状況です。

   でも、「希望を抱いて生きる」姿勢そのものが、僕は、あまり誉められたことではないように思います。希望というのは、言い換えれば「未来に対する信仰」です。

 そして、未来や社会(会社)に対する期待値が高いと、いざ裏切られたとき、暴発したり、自殺する可能性が高くなります。

 僕は、自分のことを「社会のゴミ」(≒個人)だと思っています。何も卑屈になったり、卑下しているわけではありません。

 自分の能力や技術に関しては、自信と矜持があります。ただ、僕は、世の中から認められている人間ではありませんから、「社会のゴミ」というわけです。

 これから大切になることは、「社会のゴミ」として、強く生きることだと僕は思います。まず、未来への期待値を下げることです。「夢を萎(しぼ)ませる」ことです。

 僕は将来、自分が結婚できるとは思っていないし(「できない」とも思っていないけど)、マイホームを買える(買えない)とも思っていません(奇妙に聞こえるでしょうが、要は「未来への信仰」を意図的に排しています)。

 僕が敬愛しているエリック・ホッファー(=研究テーマ)も、まさに「社会のゴミ」でして、28歳の時に自殺未遂をして、40歳までは社会の底辺を這いずりまわっていました。

 世間(=奴隷たち)から踏みつけられても、雑草としてたくましく生きる。今こそ、その絶望が求められているように思います。    

  山田宏哉記

P.S. 今後の日本社会では、ますます割りを食い、切り捨てられ、落ちぶれる人が増えるでしょう。そのとき、「自殺を回避する」(=「社会のゴミ」として生きる)ことが大きな課題になると思います。

2007.12.19
 手紙一覧へ戻る 文筆劇場・トップ