(1574)

  努力が報われるほど世の中は甘くない

 個人的には、″努力主義者瓩嫌いではありません。  何か自分に対して災難が降りかかったとき、「自分の努力不足」に原因を求めるのは、賢明な態度ではありませんが、どこか愛すべき態度のように思います。

 「大人の条件」として、どんなに努力しても叶わない、裏切られることがあるということを身をもって知っていることがあります。

 例えば、男女の機微に努力を持ち出す男は、阿呆です。  努力して人を好きになることはできないし、まして他人の心を動かすことなどなおさら不可能です。

 あるいは、さめていく情熱(?)を努力で燃えたぎらせようとしても、災いをまねくだけです。

 何事もそうなのだけど、パッパッパと探りをいれて、脈がなさそうならスパッと諦めるというのが、賢い大人の処世術です。理屈で考えれば、全くその通りです。

 もっとも僕は、それでもなお「どうしても諦められない!」とか言って、なぜか深夜に家を飛び出してヘトヘトになるまで走るような馬鹿な男が嫌いではありません。

 しかし現実として、努力が報われるほど世の中は甘くありません。もしかつての自分自身に何か助言するとしたら、声を大にしてこのことを言います。

 代わりに「偶然を味方につけろ」と助言します。いかに偶然の幸運に気づき、偶然の勝機をキャッチできるか。そのことに神経を集中すべきだと言います。

 確かに、大きな幸運を手にするためには、それに見合った大きな器が必要です。ですので「器作り」に関しては、自己研鑽に励むべきです。

 しかし、いくら器を作っても、そこに入れるための偶然の産物をキャッチできなければ意味がありません。

 今の世の中は、小さな器で大きな偶然の幸運をつかもうとして容量オーバーで取りこぼし続ける人と、大きな器作りだけで満足して偶然の勝機をとらえることにエネルギーが向かない人で溢れています。  

 つまり、「こんなに努力したのに…」などというのは甘えに過ぎません。それは「敗者への道」に他ならないのです。

    山田宏哉記

P.S. ここまで言えば、充分でしょう。

2007.12.21
 手紙一覧へ戻る 文筆劇場・トップ