ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (1579)
「量」という研磨剤
よく、物事の上達過程において、「質か、量か?」という問題提起があります。
もちろん、答えは決まって「質」です。
このこと自体は、間違っていません。
ただし、僕の率直な印象を言うと、「質」を高めるためには、必要条件(≠十分条件)として「量」をこなすことが必要です。
量の裏づけのある質だけが、卓越した人物への道を開くように思います。
二桁の数字をイメージとして使えば、質は「十の位」、量は「一の位」に相当します。「十の位」をひとつあげるためには、「一の位」の数字を10個つみかさねることが必要です。
ところが、多くの人が「一の位(≒量)よりも、十の位(≒質)の方が大切だ」と当たり前の認識に留まっています。
あえて注意を喚起すれば、上達のための「量」は、10進法とは限りません。
ある人は、「1、2、3、4、10、11、12、13、14、20、21…」と5進法で、質が向上するでしょう。
またある人は、「1.2、1.4、1.6、…」などと0.2刻みでしか量を積み重ねられないかもしれない。
もっとも、この量を刻むスピードの格差そのものも「質」と捉えることもできます。つまり、「量が質を規定する」と同時に「質が量を規定する」のです。
言い方を換えれば、質を高めるためには、量をこなすことが必要であり、量をこなすためには、質を高めなければならない。
量の裏づけのない質は、怠け者の言い訳であり、質の裏づけのない量は、愚者の骨折り損になるのです。
質と量の両者は不可分だという認識こそ、まさに僕たちが持つべき心得ではないでしょうか。
追記 . 文明の利器が発達するにつれて「質」が叫ばれるからこそ、逆に「量」が盲点になってきているように思います。
山田宏哉記
2007.12.27 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ