ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1582)

 改めて「会話」の見直し

   ビジネスの交渉事、就職・転職における面接、あるいは異性との戦い(?)、日々の重大場面の中でモノを言うのは、何といっても「会話能力」です。

 その際、頭の回転が速い方が、圧倒的に有利です。  「うまく言えないのですが…あぅあぅあぅ」とまごつくような人は、本人が気づかぬうちに随分と損をしています。

 おそらく会話の際、僕たちは「よりよい表現」を探し、「気の利いた一言」を言うために、脳内の情報資源(≒記憶)から検索して、取り出しています。

 会話の情報処理速度が遅いと、何かを思い出しているうちに、会話の展開が次にいってしまいます。逆に速ければ、気の利いたリスポンス(反応)を返したり、カウンター(反撃)を入れたりできます。

 常識的な観点から言うと、会話の上手・下手というのは、主として場数を踏んだ数がモノを言うように思います。えてして「文章が得意」ということは「会話が苦手」ということとセットの傾向があります。

 これまで僕は、まだあまり親しくない人と話すことが苦手でした。言語的な反射神経が鈍かったのです。平たく言えば、頭が悪かった。

 会話を続けるためには、その場で即断して、発声することが必要です。  特に電話では、沈黙している時間が長いと、何となく気まずくなってきます。

 だから僕は、初対面の人と話すことが多い場所に行くことを億劫に感じてきました。

 ところが最近、気づかぬうちに僕の会話能力が、自分比で格段に向上しました(毎度ながら「シリコン・オーディオ様々」です)。

 種明かしをするとこうです。僕は、トーク番組なども1.5倍速で聴いているので、「言葉のやり取り」に対する反応速度が飛躍的に向上しています。

 言い換えれば、「ナチュラル・スピードの会話」が遅く感じるわけです。  他人と話していても、普通の会話速度であれば、それなりに考えて発言する余裕ができました。

 これは世渡りをする上で、相当のアドバンテージです。  

 会話の上手・下手は、えてして身体的な要素(=発声など)と(非)言語情報処理の速度が、相当の割合を占めています。平たく言えば、頭(脳)のよしあしの問題と考えても、差支えがない状態です。

 そのためには、「場数」がモノをいいますが、トークなどの音源でも相当にフォローできるということは、僕にとって衝撃的な発見でした。  
 
追記 . というわけで今年は、忘年会のような場に参加することが苦ではありませんでした。専ら、僕は聞き手ですが。  

 山田宏哉記

 2007.12.30
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