ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1847)

 記憶・知覚・期待の時間戦略

   放送大学の「自己を見つめる」という科目を聴いていて、大いなる気付きがありました。

 講師の渡邊次郎先生によると、物理的な過去・現在・未来という時間を、より僕たちの人生に重ね合わせていうと、「記憶・知覚・期待」ということになります。

 僕たちは、不断に、過去の出来事を思い出し、今という瞬間を生き、未来に何らかの期待をしながら生きている。そして、「記憶・知覚・期待」がミックスした時間意識が、いわば犹筬瓩魴狙している。

 ある人は、思い出話にふけることを好む。またある人は「現在(いま)という一瞬しかない」と言う。はたまた、未来の理想を語る人もいる。

 時間意識の持ち方は、「優しい」とか「冷たい」といった性格診断より、おそらくずっと当てになります。

 過去・現在・未来に対して、どれくらいの比率で意識配分するかということは、本質的に重要なことです。これは個性に属する事柄なので、おそらく正解はありません。正解はないけれども、避けた方が望ましい配分の仕方というのは存在すると思います。

 僕は、おそらく普段、牴甬遏Ц什漾未来=3:5:2瓩らいの比率で意識を配分しています。未来を語るよりは、歴史に学ぶタイプだと思います。

 一般に生命の危機が迫れば、現在の比率が高まります。マクロに社会全体が悪化すれば、未来のことを考える(将来への不安)が強まります。また、歳をとって人生のピークを過ぎると、思い出にふけることが多くなるでしょう。

 つまり、過去・現在・未来の時間意識のうち、どれかの要素が突出したり、逆にゼロになるのは、戦略上、あまり望ましいものではありません。

 ただし、のっぺりと続く時間意識にあえてゆさぶりをかけることは、非常に有効だと思います。例えば、ヨガや瞑想で、普段の過去・現在・未来の時間意識にゆさぶりがかかります。

 「今しかない」とか「過去を振り返るな」というのは、言葉としては勇ましいですが、バランスを欠いているので、あまり生産的(現実的)ではありません。

 過去の経験を反省し(≒歴史を学び)、目の前の現実と格闘し、あるべき理想の自分に近づいていく。月並みながら、時間意識を考える上で、これ以上の戦略はないのではないでしょうか。

 追記. たまには凡庸な結論に落ち着きます。

山田宏哉記

 2008.10.13
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