ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1854)

 圧倒的境遇への一矢

 「最近の若者は…」とひとくくりにすることはできなくなっています。

 徒党を組んで夜の街を徘徊するような連中がいる一方、恐ろしく頭が切れる若者もまた、存在します。

 幸か不幸か、会社の業務で関わる若い人たちは、皆、頭が切れます。IQが高い人たちが集められていることが、すぐにわかります。ですので、気を抜くことができません。

 確かに、歴史や哲学、あるいは経済の知識などは、僕の方があると思います。しかし、この手のことは、IQの高さより、学習の蓄積がモノを言います。ですので、あまり意味がありません。

 何度でも言いますが、努力して手に入るものは、たいして価値がありません。これが大前提です。知識や教養を身につけることは、女性が厚化粧や整形をしたりするのと同じことです。

 僕たちは、自分が生まれる時代や国籍や家庭を選ぶことができません。気がつけば、この世界に投げ込まれています。しかもいずれ死ぬことが約束されている。「踏んだり蹴ったり」の圧倒的現実とはまさにこのことでしょう。  

 人生で決定的にモノを言うのは、そのような宿命的な境遇であって、僕たちには、若干の犁案蚕だ記瓩できるくらいです。喀血するほどの力を尽くして、ようやく一矢報いることができるかどうか。

 異議のある人は、おそらく二〇世紀日本に生まれたことの幸運を、身体ではわかっていない。戦乱に怯え、水や食糧を追い求めて一日の大半の時間を過ごしてきたのが、人間の歴史です。

 仮に僕たちが、100年前のアフリカに黒人として生まれていたら、おそらく、病気で野垂れ死ぬか、西洋列強の入植者たちに虐殺されて終わりです。歴史やシステム(構造)に対して、個人の努力で立ち向かえば、あっけなく存在ごと消されます。

 後天的な努力を重ねたところで、どうにもならない世界が広がっていることを、大人なら誰でもわかっている。それでも、境遇に対して、一矢なら報いることができるかもしれない。

 たかが一矢、されど一矢。強者は強者として生まれ、弱者は弱者として生まれるこの世界で、人為によって「人生を変える」というのは、おそらく絶望的な戦いです。

 というのも、継続的に自己研鑽を積むことができるという習慣そのものまでもが、おそらく生来の才能の一種だからです。

 追記.ここで、新しい人権宣言を。「人間は生まれながらに圧倒的に不平等であり、強者は弱者を踏み台にして生きるのが、自然の摂理である!」 

山田宏哉記

 2008.10.20
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