ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1873)

 「所詮はケアレスミス」で済むのか?

    だいたい想像がつくと思いますが、僕は確認や見直しといった作業が苦手です。

 文章にも誤字脱字が溢れています。この性格は健全な社会人生活を送る上で、きわめてマイナスに作用します。

 「数字が一致するかどうか確認する」とか「レイアウトに不備がないか見直す」といったことが大切であることは、理屈ではわかります。しかし、無意識の感情がついていかないようです。

 恥ずかしい話、僕が作る資料には、大抵、どこかしらミスがあります。さすがに要点は間違えなくても、ちょっとした数字や並び方や色使いや罫線の引き方、プリントアウトの仕方といったことで、ヘマをやらかします。

 困ったものです。

 ただ不思議と、不備のない書類を作るような人に対して、「羨ましい」という感情を抱くことはありません。「所詮はケアレスミス」という意識がどこかに潜んでいるのでしょう。

 ケアレスミスというのは、曲者だと思います。ついうっかりでも、駅のホームから転落して電車に轢かれて、サイゼリアのミートソース・スパゲッディと化したら、人生それまでです。

 世の中は弱肉強食であり、一瞬の油断も許されません。敵はあの手この手を使って、僕たちの人生を台無しにしようと襲い掛かってきます。わずかなケアレスミスで全財産を失い、家族を殺され、五体不満足になるなど、日常茶飯事です。

 自分に対して言うのだけど、ケアレスミスを甘く見る習慣は、即刻、改めなければなりません。人間の生命や人生の防御力など、たかが知れています。雑魚や小市民たちからの攻撃でも、打ち所が悪ければ致命傷になります。

 ではいかにして、ケアレスミスを撲滅するか。システム化・ルーティン化という手法が有効だと僕は考えますが、詳しくはまたの機会に書きます。  

 追記. マケインの敗北宣言はすばらしかった。 

山田宏哉記

 2008.11.5
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ