ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1886)

 公共サービスと最低限度の生活

 国民全員に与えられた権利というものは、相対的に大した価値を持っていません(国籍や戸籍の売買などの話は、この際、脇においておきます)。

 例えば、ハローワークに来る求人は、労働条件が悪いものがほとんどということは、少し社会の現実を勉強すれば、すぐにわかることです。

 実際は、リクルートなどの媒体に求人情報を掲載する費用に欠ける企業がハローワークに求人を出すのですから、「何をかいわんや」です。

 あるいは、労災保険や失業保険や「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」などというのは、転落したときにしか役に立ちません。裁判を受ける権利とか刑務所に入る権利(?)なども同様です。

 選挙権は納税額によって与えられている時代にはある程度、価値がありましたが、選挙権が国民全員にばら撒かれたことによって、急速に価値がおち、政治屋が跋扈する衆愚政治と化しました(僕が政治家だったら一発でクビが飛ぶわな)。

 公共サービスは、国民の税金を原資にしている以上、きめ細かいサービスを提供することができません。例えば、贅沢な公共施設を作れば、貧民たちが怨嗟の声をあげ、「やったぁ」とばかりに野宿者のたまり場と化します。

 僕は、図書館は、早稲田大学の図書館をメインで利用しています。アクセスできる人間が限られているので、いわば犁卅忰瓩いいのです。

 新宿区の公共図書館なども本の揃えは悪くないのですが、同時に浮浪者やホームレスの生活空間と化しています。だから何というわけでもないのですが、異臭は何とかしてもらいたいものです。

 誰でも受けられるサービスには、猊鰐鵜瓩殺到するので、待ち時間がバカになりません。例えば、国民健康保険の恩恵にあずかれるのは、むしろ下層世帯の人々であり、時間を大切にする人たちからは遠のいています。

 プライベートなサービスより、公的なサービスの方が質が高いのは、大学の世界くらいです。国公立大学と私立大学を比較すればわかります。

 東大の学費の方が、その辺の三流私大の学費より安く、なおかつ教育水準は遥かに高いわけです。とはいえ、誰でも東大に入学できるわけではありません。

 要は、燹覆覆襪戮)公共(≒国家)に頼るな瓩箸いΔ海箸任后8共サービスはあくまで最低限度の生活を保障するものであり、挑戦的で野心的な生活を送るためには、全く不適格です。

 というわけで、生活保護の受給権を得られたと歓喜するような連中を羨ましがる必要など、全くありません。

 追記. カネがあれば時間が買える。これは重要なことです。

山田宏哉記

 2008.11.16
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