ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1887)

 犢臉の誤謬瓩鯒咾垢觚朕誉鑪

 高岡英夫さんの初期の「鍛錬シリーズ」の著作群を読み返していて、重要なエピソードを思い出しました。

 ボクシングの元世界チャンピオンである井岡弘樹選手が、スポーツ科学に基づく筋力トレーニングやサーキットトレーニングを取り入れ、前回、判定負けだった相手にKO負けしてしまったことです。

 近年では、ボブ・サップが格闘技の練習を始めて弱くなったという例があります。

 筋力とかスタミナといった要素を個別的に鍛えたところで、試合に勝てなければ(闘技者として強くなれなければ)意味がありません。鍛錬は身体のパフォーマンスを最大化するのに資するものでなければなりません。

 僕たちはつい、パンチ力が上がったり、スタミナがつけば「強くなった」と錯覚します。格闘技で相手を打倒するのに必要な主要素は、爛僖鵐僧廊瓩覆匹任呂△蠅泙擦鵝E確なタイミングで、的確な角度で、正確に打つことです。

 サンドバックと違って、相手は動くし、攻撃もしてきます。その複雑な競技の中で威力を発揮するのは、主として倏Ъ鰻賄瓩紡阿垢襪海箸任后

 経済の世界では、犢臉の誤謬(ごびゅう)瓩箸いν儻譴用いられます。「部分的には正しくても、総合すると誤りである」ことを指して使われます。

 例えば、貯蓄は個人にとっては美徳ですが、社会の構成員全員が貯金ばかりをしてお金を使わなくなれば、経済は回らなくなります。

 知識を身につけることは、それ自体、よいことだと考えられています。ただし、知識を得ることによって、知らず知らずのうちに、臆病になったり、逆に傲慢になったりしては、ビジネスのパフォーマンスを最大化する上での障害となります。

 最大の問題は、個人レベルで犢臉の誤謬瓠淵僖侫ーマンスの低下)が生じたときに、本人にはなかなか原因がわからないことです。

 本人がよかれと思っていて、なおかつ部分的にはそれが正しいことである以上、無理もありません。

 早寝早起きで、勤勉で、人当たりもよく、教養もあり…という人が仕事で特筆すべき成果を出せるかというと必ずしもそうでもありません。

 要素に分解すれば申し分のない人であっても、要素同士がうまく統合できていなければ、パフォーマンスは大幅に低下します。

 人間というのは総合的な存在です。俗な話、いわゆる3高(高収入・高学歴・高身長)でハンサムで思いやりがある人でも、魅力的であるとは限りません。

 よく成長のためには「欠点を減らし、長所を伸ばす」と言うけれども、本当はそんな単純な話では済みません。

 皮肉なことに、欠点を減らし、長所を伸ばしたら、さらに救いようのないダメ人間になる可能性もあるというのが、人間という存在なのです。あぅあぅあぅ。

 追記. 犢臉の誤謬瓩悗梁仆茲脇颪靴い任垢、まず知識として「そういうこともある」と知っておくことが第一歩でしょう、

山田宏哉記

 2008.11.16
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