ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1890)

 犧絞稔瓩亮汰心理術

 日本の一般人たちは、犧絞未気譴襪海鉢瓩魘謀戮剖欧譴觀晃があるように思えてなりません。その割に、自分の差別意識には無自覚なのですが、人間はそういうものなので、非難するにはあたりません。

 「差別のない世界」などということは言いません。

 人の世にもまれて生きる限り、「誰かに差別される、誰かを差別する」という状況は必ず発生します。そんなとき、どう振舞うのが賢明であるかを考えるのが、僕の仕事です。

 さて、差別意識が発動するのは、自分のすぐ上とすぐ下の人間に対してです。これは知識としてであっても、覚えておいた方がいい。  

 例えば、5人がある第一志望のα大学を受験(「企業にエントリー」でも「異性に告白」でも構いません)したとしましょう。

 便宜的に、点数が高い方から、A君、B君、C君、D君、E君とします。A君とB君が合格、C君・D君・E君は不合格で滑り止めのβ大学に入学することになったとします。

 このとき、えてしてB君とC君の間では、強烈な嫉妬と差別意識がいきかいます。

 B君は、「俺は実力で一流のα大学に合格した。C君は、実力不足で3流のβ大学に行く羽目になった」と自分に言い聞かせることで、C君との学力差やβ大学とのブランド価値の差をなるべく過大に見積もります。

 C君は、「俺は運悪くα大学に落ちたが、B君は運良くα大学に合格した。でも、α大学のA君の合格した学部は大したことがなく、俺の入学先のβ大学の方がむしろ上だ」と自分に言い聞かせることで、B君との学力差やα大学とのブランド価値の差をなるべく過小に見積もります。

 上位者は自分の足元からすぐ下を切り捨てようとするし、下位者は目の上のタンコブを引きずりおろそうと必死になります。

 興味深いことに、受かって当然のA君や落ちて当然のE君などは、むしろアッケラカンとしています。

 こうして、B君とC君は、互いに憎しみ合うようになります。なぜなら、互いの存在が、自らのアイデンティティを危うくするからです。

 それでも、上位者のB君よりも、下位者のC君の方が、「A君とB君に差別された」と憤激して、人生を台無しにする可能性が高いことは言うまでもありません。

 そしてC君は、同じβ大学のD君やE君に対しては、「俺はお前らとは違うんだ」と威張り散らすようになります(どこかで聞いたことのある話ではありませんか)。

 このケースであれば、おそらく望ましい立ち位置から順に、「A君、B君、E君、D君、C君」です。

 これは、差別問題に際して、僕たちがどの位置に立ちべきかを考えるとき、大きな示唆を与えてくれるとは思いませんか。  

 追記. いずれにせよ、猊垤膤丙嚢眦性瓩亮萋声圓海修、差別の冷風を最も痛感することになります。これぞ、残酷人間論。

山田宏哉記

 2008.11.19
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