ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1906)

 「社会人になることの不安」の正体

 学生時代に感じていた「社会人になることの不安」の正体は一体何だったのか。

 今になって思います。それはおそらく言語化すれば「こんな1日の繰り返しが後何十年も続くという憂鬱。それが終わる頃には人生も終わりに近づいているという憂鬱」です。

 1日8時間の労働を週5で繰り返し、それが何十年も続くということは、冷静に考えると恐ろしく負荷の高いことです。何しろ、その間に人生最良の時は過ぎ去ってしまうわけですから。

 刑務所での懲役生活と、会社員としての労働生活は、程度の差だけで、本質的には違わないのかもしれません。人生の基幹部分を他者に握られているという部分では、同じです。

 ただし、だからと言って逃げ道はない(ように見える)。無職では生活していくことができない。生きるためには嫌でも働くしかない。

 社会人としてやっていくためには、ある種の感性を鈍磨させることが絶対に必要です。「人生にとって本当に大切なこと」とかを本気で考え出すと、「メンタルヘルスに問題あり」とか診断されて、閑職に左遷されたり、下手すると解雇される危険があります。

 受験勉強に何の疑問も感じないことが受験の勝者となる上での絶対条件であることと同じように、働くということ自体には何の疑問も感じないことがビジネスパーソンとして勝ち残るための絶対条件です。

 既に鈍った感性で「それでいいのか」と自問自答することはあります。葛藤することはあります。しかし、今のところ解決策はありません。

 決定的な答えは出ないままに、矛盾は矛盾として受け止め、とりあえず会社と業務とウェブ製作を続ける毎日です。たとえこれが貴重な人生の浪費だとしても。

 追記. この文章も横須賀線のグリーン車の中で書きました。45分で2本。少しは原稿を書くスピードが上がったかもしれません。

山田宏哉記

 2008.11.30
 記事一覧へ戻る 文筆劇場・トップ