ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1921)

 携帯電話は18禁にするべきである

 電車に乗っていると、携帯電話の液晶画面を覗きこんでいる人の多さに唖然とすることがあります。頭の悪そうな若者たちだけでなく、いい歳をしたおじさんおばさんまでもが、携帯の画面に見入っています。

 考えてみると、僕は携帯電話に関してあまり語ることはありませんでした。このあたりで僕の携帯電話に対する考え方をまとめておきたいと思います。

 携帯電話が便利な道具であることは、今更、言うまでもありません。いつでも、どこでも、誰とでも連絡を取れるようになったということは、革新的なことでした。

 20年前の人を現在にタイムトリップさせたら、何より猛威をふるうデバイスとしての携帯電話とメールという機能に愕然とすることでしょう。「この人たちは、ジャンキー(中毒者)なのではないか」と思われるかもしれません。

 それらを踏まえた上であえて言いたい。携帯電話(特に携帯メール)は、飲酒や喫煙以上に有害な存在です。携帯メールが引き起こす依存心と中毒症状の危険性は、いくら強調しても強調しすぎることはありません。そして、行きつく先は廃人です。

 1日に3時間以上、携帯電話に拘束されている人も、決して珍しくないようです。

 僕も大学入学以来、携帯電話を持っています。持たないわけにはいきません。それでも、携帯メールはなるべく打たないようにしています。メールの返信が気になると、他の大切な物事(例えば、文筆や読書)への集中力が明らかに低下します。

 だからこそ、若者(ばかもの)たちの間で「3分以内に返信しないと友達じゃない」みたいな不文律ができるわけでしょう。

 「有害サイトを見たり、いじめの道具として携帯電話を使うのは駄目だけど、良識を持って使う分には有益である」みたいなことを言う人がいます。

 そうではありません。携帯電話そのものが依存性と中毒性の強いドラッグなのです。意志の力でこれに立ち向かうことは、ほとんどできません。

 携帯電話のキャリアは、日本の回線インフラを握る強大企業なので、マスコミも「携帯電話そのものが持つ有害性」を書くことができません。

 もはやでしょうが、携帯電話は法律で18禁にしても構わないと思います。それくらいの劇薬だという認識が、大人にも子供にも欠けています。

 特に、人間的な成熟を経ていない18歳以下の人間がケータイを手にするのは、まさに犁ぐ磴い某亙爐任后

 さらに言うなら、携帯電話(メール)は、貧民と廃人の象徴です。携帯電話(メール)への依存度が高い人ほどワーキングプアに甘んじることになるでしょう。

 論より証拠です。ケータイのヘビーユーザーで僕より思考力と教養と身体能力と収入があり、おもしろい個人ウェブサイトを製作・運営している人がいたら、ぜひ教えてください。おそらく皆無に近いのではないでしょうか。

 僕は自分の高校時代に携帯電話が普及していなかったことに感謝します。  

 追記. 今更、携帯電話の使用をやめることは無理でしょうが、せめて有害性の認識があるのとないのでは、大違いでしょう。

山田宏哉記

 2008.12.7
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