ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1922)

 水村美苗『日本語が亡びるとき』の衝撃

 水村美苗(著)『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)を読んでいます。梅田望夫さんが自身のブログで「日本国民必読の書」と記されていたので、速攻でアマゾンで注文しました。

 今、第一章「アイオワの青い空の下で<自分たちの言葉>で書く人々」を読み終えたところですが、言いようのない自己否定の気持ちに襲われたので、一言書いておきます。

 「あぁ、僕は今、世界で何が起きているかということを全くわかっていなかった」というのが率直な実感です。21世紀の末までに95%の言語が亡びるという学説があることなどは、知識としては知っています。

 しかしそれがどういうことなのか、生活実感としては全く認識していませんでした。水村さんは、異国の作家との交流の中で、日常の一コマを通しながらも、英語が世界語となりつつあり、英語圏以外の作家が追いつめられている構造を描いています。

 特に作家のようなものを書く人々にとって、「母語で書くか、英語で書くか」という問題は死活問題です。そして、僕たちを含む非英語圏の人々にとっては、圧倒的に分が悪い。水村さんの苦悩が手に取るように伝わってきます。

 僕も日本語が衰退局面に入っていることを認めざるを得ないし、普段は無意識の防御反応として、そのことを考えないようにしています。本来は、TOEICの出来の善し悪しで、一喜一憂している場合ではないのです。俺は何を寝ぼけているんだ。

 『源氏物語』から村上春樹に至るまで、日本語や日本文学の豊穣は、筆舌に尽くしがたいものがあります。日本語に対する愛着は、人後に落ちるものではないという自負もあります。

 それでもなお、僕自身も生きているうちに、「日本語で書く」ということを手放す日がくることを予感しています。ネイティブでないという不利を承知の上で、英語を主戦場に戦っていかなければならないという予感がします。

 日本語という城壁に閉じこもり、「英語という普遍言語に対する戦い」を展開するのは、端から負け戦であることがわかっています。しかし、日本語の存亡を賭けた戦いは、「勝てるからやる。負けるからやらない」で済むものではありません。

 僕たちをここまで育ててくれた日本語が亡びていく。座して死を待つわけにはいかないけれども、ならば何ができるのか。自らの無知と無力を呪いたい。  

 追記. 本書の感想は、また改めて書きます。

山田宏哉記

 2008.12.7
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