ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1928)

 iPodで英語の海へ

 iPodとiTunesを使い始めてから、気がついたことがあります。当たり前と言えば当たり前のことですが、iPodもiTunesも、英語のコンテンツに適しているこということです。

 僕は普段、TOEICスコアが500点の割に、英語のコンテンツであれば1.25倍のスピードで聴いています。

 しかし、ナチュラルスピードで聴いても、"遅い"とは感じません。ですので、英語の動画コンテンツをiPodで楽しむというのはありだと思います。

 また、ポッドキャストの分野においても、英語と日本語の情報格差は、圧倒的なものがあります。

 『日本語が亡びるとき』を読みながらもこんなことを言うのは気が引けるのですが、特にポッドキャスト学習をする場合、英語を聴き取って意味を解せるかということが、死活的に重要です。

 英語にアクセスできるということは、そのまま人類の英知にアクセスできるということです。

 水村美苗さんは『日本語が亡びるとき』で、現代日本の小説は、もはや国民文学ではなく、日本語文学に成り下がったと主張されています。これはその通りだと思います。

 おそらくは、村上春樹あるいは司馬遼太郎こそが最後の国民作家であり、それ以降の日本の小説は、いくらかの例外を除いてほとんど読むに値しません。僕はあまり小説を読まないのですが、特に最近の日本現地語文学の惨状は目を覆うばかりです。

 作家というのは、知識人の代表でした。夏目漱石や芥川龍之介に対して抱くのと同じような敬意を、"J文学"とか"ケータイ小説"とかの作者どもに抱けるわけがないでしょう。

 日本のインテリ層の間で、この英語の世紀に、土俗の日本語圏に生まれてしまったという悲劇をハッキリと自覚する人が静かに増えているようです。

 何はともあれ、iPodとiTunesは英語コンテンツに強いという話でした。これを利用しない手はありません。  

 追記. 今日は23時まで会社の業務をやっていました。さすがに文章にも疲労感が漂っています。

山田宏哉記

 2008.12.10
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