ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1929)

 映像は高速学習のツールたりえるか

  iPodTouchを使うようになって、映像(動画)というものとどう付き合っていけばよいかということが気になるようになりました。あまり気にする人もいないであろうテーマですが。

 そもそも、動く物体に注意が向くのは、動物としての本能的な反応です。自然界の食物連鎖の中では、獲物を捕食するのが生存の条件です。従って、動くものしか獲物と認識しない動物もいたはずです。

 この名残は、人間にも残っています。電車の中で映像広告が流れていると、何とはなしに視線を向けている人がたくさんいます。

 ですので、映像メディアがその刺激の強さ故に、活字メディアを圧倒するのは当然と言えば当然です。

 さて、これまで僕は、映像メディアに背を向けてきました。映像を見るとしたら、映画や格闘技の試合などに限定してきました。今、その制約を取っ払い、映像も高速学習のツールとして取り入れるべき時がきたのかもしれません。

 家で映像を観ることは、これからもほとんどないでしょう。iPodで動画を観るとしたら、基本的には通勤途中や外出先などです。

 今は、東大の講義なども映像配信している時代ですから、質の面でも、不足はないでしょう。

 仮に「映像は高速学習のツールたりえるか?」と問うなら、「たりえる」というのが現時点での僕の考えです。ただし、一口に映像といってもその内容は多岐にわたるので、映像の中身を精査することは、絶対に必要です。

 映像学習は一歩間違うと、膨大な時間の浪費になります。

 少数派である活字人間は、えてして「映像は思考力を奪う」などと言いますが、歴史やサイエンスの番組と、低俗なワイドショーやバラエティ番組を同列視するのはあまりに大雑把で、あくまで内容次第というところではないでしょうか。

 TVのチャンネルを回して、「何かおもしろい番組やっていないかなぁ」などとつぶやくのは、典型的な三等市民であって、年収2万ドルの将来が待ち構えています。

 ですので、さしあたって映像は、予約録画するか、ウェブからダウンロードしたもの以外は、見ない方がいいと思います。つまり、自ら取捨選択したテーマの動画であるということが、高速学習の絶対条件でしょう。

   追記. いずれにせよ、映像=TVという図式は崩壊しました。日本人の白痴化を推し進めてきたTV局の凋落です。まさに「ざまあみろ」と言いたい。 

山田宏哉記

 2008.12.10
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