ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1934)

 学習メディアの戦国時代

「自分を耕すには、何を差し置いても読書せよ」という先人たちの教えがあります。この考え方は、基本的には正しいと思います。

 確かに、意味や思考や教養といった抽象度の高い領域においては、圧倒的に読書がモノを言います。

 ただし、目まぐるしく社会状況が変化していく中で、時代に合わなくなってきている部分もあります。

 例えば、中国武術をやっていた頃、僕は武術の本を読んでもさして強くなれないことに気がつきました。それよりも、試合やトレーニングの映像を見ていた方が、動きのセンスを身につけることができます。

 あるいは、エクセルの新しい機能を覚えたいと思ったとき、本や雑誌を参照するよりも、映像で操作方法を学んだ方が理解が速い。

 つまり、独学でテクニカルな技能を身につけるために勉強するなら、映像をテキストに使った方が早く技術を取得できます。

 また、情報収集をするならどうでしょう。紙媒体であれば新聞か雑誌。ウェブ媒体であれば、ニュースサイトやポッドキャストでしょう。

 さらに、TOEICのスコアを上げるための英語力をつけるなら、今度はラジオかポッドキャストでしょう。

 何が言いたいかと言うと、要は人間として最高度に能力を発揮して生きようと思ったら、目的に合わせて戦略的に最適な学習メディアを組み合わせていかなくてはならない、ということです。

 これまでは、漫然と寝転がってTVでも見ていれば、芸能人のモノマネのひとつもできるようになって、みんなの人気者になることができました。しかし、もはやそんな悠長な時代ではありません。

 例えば「交渉力をつけたい」という課題があったとする。

 この課題に対する有効な"学習ソリューション"を提案するなら、映像コンテンツで交渉の場における表情や雰囲気のコツを取得し、ポッドキャストで「(口頭での)言葉のやりとり」を学習し、さらには交渉や議論に関する書物を読んで知識や理論で武装する、といったところでしょうか。

 つまり大切なことは、映像、音声、文字による重層的な援護射撃が可能になるように学習法を組み立てていくということです。

 言い方を変えるなら、もはや「映像だけ」とか「文字だけ」といった単一的な学習法では、小市民に甘んじるしかない時代に突入しているのです。よく考えたら、当たり前の話でした。  

   追記. もちろん、伝統的読書人が新たに映像を味方につける方が、その辺のTVボケした一般人が読書の力を味方にするよりも、はるかにたやすく、現実的なことです。

山田宏哉記

 2008.12.15
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