ジョン・スミスへの手紙
 サイバー・ラボ・ノート (1937)

 なぜ僕は雑誌に寄稿したいと感じるのか

 正式に決まった話ではありませんが、"ボランティア"として雑誌の編集記者をすることになるかもしれません。「あっ、そう」と受け流していただければ幸いなのですが、時代はまだそこまでは進んでいないでしょう。

 「クソみたいな個人ウェブサイトを運営していた管理人が、雑誌の編集やライターの仕事をするなんて、大出世じゃないか!」というのが率直な読者の感想かもしれません。失礼な話ですが、組織の看板を持たない人の信用力など、そんなものでしょう。

 僕もまた、雑誌に原稿を書く機会があれば、なるべく書きたいと思います。ところが、「なぜ?」と聞かれると、非常に困ります。

 『論座』も『月刊現代』も廃刊になった今、雑誌の凋落は目を覆うばかりです。なのになぜ、雑誌に書きたがるのか?

 答えにつまるのは、おそらく見栄や虚栄心や世間体のためだからです。例えば、「『東洋経済』にコラムを書いている」と言えば、(そんな記事、誰も読んでいなくても)「おぉー!」という反応が返ってくるでしょう。これを権威と呼ばずして、何を権威と呼ぶのか。

 ところが、「個人ウェブサイトを運営しています」では「はぁ? 何、この変人。アキバ系?」みたいな反応が関の山です。

 情報の伝播力と浸透力という点では、僕はもう完全にウェブの側に立っています。

 ところが、情報発信の媒体がウェブだけだと、世間的な格付けが落ちるのです。原理的には社会的評価など無視すればいいのですが、そこまで割り切れないのが僕の弱さです。

 個人ウェブサイトのプロフィール欄に、「某雑誌に寄稿」とか「著書に○○がある」とかあれば、「あぁ、この人は最低限の実力は持った人なのだな」ということをさりげなく読者に納得してもらうことができます。

 自分のウェブサイトで自己紹介として「僕は何をやらせても高いパフォーマンスを出すことができる優秀な人間で…」などと自画自賛してしたら、(たとえそれが事実だとしても)それこそ気違いです。

 ところが例えば、「早稲田出身です」の一言で、さりげなく自分の能力をアピールできたなら、何とも楽ちんです。同様に、「雑誌に記事書いてます」も、さりげなく自分の文章能力を証明するためのツールとして、なかなかに有効でしょう。

 まぁ、これが僕が雑誌に文章を寄稿したいと思う主たる理由でしょうか。我ながら、俗物のカタマリですね。

「たったそれだけのために…」とあなたは笑うだろうか。まぁ、笑ってくれたら嬉しいな。

 追記. そもそも「ネット出身のアイドル」とか「ブログ出身の作家」などという見方をさせること自体、まだまだウェブの世界が舐められている証拠です。

山田宏哉記

 2008.12.19
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